きっとこの涙が笑顔に変わっていく。 いつかこの涙がの歌詞

ありがとう 歌詞 FUNKY MONKEY BABYS ※ pliki.gk24.pl

きっとこの涙が笑顔に変わっていく

いつも彗星の如く突然、地表にそいつは落ちてくる。 人はそれを運命と呼ぶのかもしれない。 或いは、そっと水面に垂らされた雨粒のように、優しくて悲しい波紋が心に広がった。 w-inds. から緒方龍一が脱退する。 ちょっと予想してなかった話である。 大好きな声優ユニットが休止した時とはまたちょっと違う。 でも確実に悲しみは広がっていった。 理由は心の話だってことで、僕程度がそこに介入する余地なんてなかった。 仲違いとかじゃなくて、良かったと思うしかなかった。 w-inds. は2人になる。 3人の姿を見ることはもう出来ない。 きっともう二度とない。 とてもシンプルな事実。 それがわかった時、僕は自分の行動を後悔してもしきれなかった。 最初は全然大丈夫だと思った。 そのまま、なんとなく彼らの音源を聞き返したら、全然大丈夫じゃなかった。 涙が止まらなかった。 一回もライブに行くことができなかったら。 もうこの先三人そろってる姿を見ることはできないんだな・・・ってわかった。 自分で思ってるより、ずっとずっと、彼らは自分にとって大切な存在だったんだなと気づいた。 いや、もっと前から気づいてた。 そうでなければ、20年近くも前の曲なんて未だに聞いたりしない。 懐古主義なんかじゃない僕は今の音楽を追って、今を追いたいのである。 それなのに、それなのに。 今日は、僕が長年にわたって密かに愛してきた、そんなw-inds. について。 初めてちゃんとした長文を書いて、今の思いを形にしようと思う。 簡単なプロフィール 左から、千葉涼平、橘慶太、そして今回脱退する緒方龍一。 ユニット名は北(千葉と緒方が北海道出身)と南(橘が福岡県出身)の風(wind)が一つになって、「世界中に届くように」と名付けられた。 ストリートから生まれた彼らは、その突き抜けるハイトーンボイスと、それに寄り添うダンスやコーラス、センス抜群の音楽性で、一世を風靡。 現在は、橘慶太自身の最先端のアンテナでセルフプロデュースされたユニットに進化。 その洗練された音楽性が、海外や国内のファンを虜にしている。 きっと僕は、特別なファンと言うわけではない。 ただ時々、彼らが巻き起こす風に当たっては、心を豊かにしてもらっただけ。 中学高校時代に少し聞いて、素晴らしい歌声と歌詞に素晴らしい影響を受けて、好きになって、最愛の松浦亜弥を橘慶太に取られて、でも「橘慶太ならカッコいいし歌上手いし仕方ないなあ」と納得して、何年かの月日が立った時、またかっこいい音楽をやってたから戻ってきた。 そんな経緯でファン面をしてる1人の人間に過ぎない。 だから3人の人となりとかよくわからない。 大好きな松浦亜弥さんが選んだ男、そしてその男が信じていた2人からw-inds. は成り立ってたから、それ以上は何も疑いようなんてなかった。 音楽へのこだわりはここ数年のインタビューを見て、先日のYouTubeのライブの映像を見て、十分理解してる。 それだけでいい。 あの頃 初期から知ってた。 好きだった。 歌声を聞いた母は「女の子みたいだね」と言ってた。 僕もそう思った。 そもそも、母の影響でジャニーズなどを聞いて小学生時代は過ごした。 顔が良くて、ダンスがうまい男は、別にそういう趣味がなくても惚れてしまう。 彼らも確かに、そういう類ではあった。 ただ、橘慶太の声はちょっと常識外れなほど心地よかったのをよく覚えている。 ケミストリー、平井堅、ゴスペラーズ・・あの頃は、特に綺麗なボーカルグループが僕は大好きだったから、すぐ好きになった。 クラスでもすぐ流行った。 ダンスとかしてる眩しい女の子たちが放課後、彼らの曲を教室のCDラジカセから流してた。 「僕も好きなんだよ」と言ったら少し仲良くなれた。 ただそれだけのことがすごく嬉しかった。 話すのはあまり得意じゃないけど、たくさんの音楽を聴いていれば、会話のきっかけが得られることを、あの日の僕は知った。 3rdアルバムくらいまで、リリースされる全ての曲が本当に良かった。 通学のMDウォークマンに彼らの曲をたくさん入れていた。 めちゃめちゃいろんな面で日々を支えてもらった。 今聞いても結構すごい楽曲ばかりが当時から並んでいた。 あの頃のJ-POP感をちゃんと押さえながら、HIP-HOPの要素などを取り入れた斬新なサウンド、その多くを作った葉山拓亮を僕は尊敬している。 当時、嵐が『a day in our life』をリリースし、ラップの楽しさを僕に教えてくれて、RIP SLYMEやDragon Ashが革命を起こした時、彼らもまたラップをナチュラルにJ-POPに落とし込むことに成功していた。 の功績があった。 その、超かっこいいラッパーが緒方龍一であった。 6th single『Becuse of you』から、彼はダンス、コーラスワーク以外の仕事を本格的に任されるようになった。 そして、そのスキルをシングル出すたびに上げていった。 自身の音楽ルーツを取り入れながら、楽曲に新しいスパイスを加えるように、w-inds. は進化していった。 カラオケで彼の真似を新曲が出るたびにした。 NEW PARADISE、love is message、pieces・・・今聞いても、未熟な部分も含めて、かっこよかった。 あの頃から、ちょっとした憧れだった。 歌詞も良かった。 めちゃくちゃ良かった。 人と関わる中で生じるコミュニケーションの難しさ、夢との向き合い方、固定観念を振り払って新しい価値観を手に入れる大切さ、挑戦するべきは他人ではなく、自分の心であること、多感な時期に誰もが悩むこと、人から見たら些細なことだけど大切なこと、そう言うのを彼らは歌にしてくれた。 00年代に突入した日本、変わり続ける生活様式の中で、若者たちのライフスタイルそのものを歌にしていくような、その生き方の模範を示すような音楽が、そこにはあった。 教科書にしたいくらい、素晴らしい歌詞がたくさんある。 大人になった今でも特に彼らの初期曲の歌詞には支えられてる。 特に、2nd Album『THE SYSTEM of ALIVE』には、そのピークのひとつが収録されていると感じる。 J-POPの様相や概念は、時代によって変わってきたけれど、その時々を自分は見てきたけど、一番好きなJ-POPは今でも、あの頃のw-inds. なのかもしれない。 正直なことを言えば、初期の曲が好きだった。 橘慶太が声変わりに直面し、葉山拓亮曲が減っていくうちに、なんとなく聞かなくなってしまった。 聞かなくなってしまった理由にはw-inds. 以外にも、特にアジカンやバンプの影響で、聞く音楽がロックバンドに傾いてしまった事実がある。 自分の好きな音楽が増え続け、趣向が変わっていくのが、嬉しくて、怖かった。 そんな流れで、気づけば、彼らの音楽から足が遠のいていた。 離れていても近くに感じられた存在感 以降も人生は当然続いていった。 当時の僕に、彼らの音楽性を理解する教養はなかった。 理解できない時は、素直に離れるのがいい。 それでも、新曲が出るたびに試聴して「なんか違うな」と思ったりしたけど、気になる存在ではあった。 06~08年くらい、僕は大学生であった。 いろいろと大学生ライフを満喫した。 中高時代にも増して、どんどん色んな音楽を聴いていく。 その頃のw-inds. は?と言うと、初期の影を追うような、何か一つ突き抜けられない印象があった。 決して悪くはないが、これまでの彼らに感じてきた新鮮さが徐々に薄れていった記憶がある。 08年、アニメタイアップが付いたシングル『アメあと』がリリースされた。 大人になった橘慶太の声に、新しい魅力を感じられたのはひとつの希望であったが、その後のシングルに心が動くことはなかった。 しかし、その当時、彼らがアジア圏で大成功を収めたことは知っていた。 デビューから4年で初の台湾単独公演を成功させると、それを皮切りにアジア圏で勢力を拡大させ、数々の成功体験を獲得。 その人気を確実なものに変えていった。 もう少し後になるが、2015年には、アジアで最も影響力のある邦人アーティストに贈られる「Asian Most influential Japanese Singer」も受賞し、その名を国内外に轟かせていく。 今も、記事によれば、海外のリスナーの方が多いらしい。 素晴らしくて、すごいのは当時からわかっていた。 しかし、色んな事が変わっていく中で、自分の気持ちに音楽が追いつかない。 残念だが、そういうことがあった。 だから、遠くから、友のように見守っていた時期があった。 2010年くらい、楽曲自体は、よりストイックかつハードなダンスチューンへ、洋楽的な趣向が強くなっていた印象が強い。 この方向転換には、08年から出演してきた韓国のフェスで彼ら自身が感じてきた違和感が由来している。 日本人アーティストが放つ音の軽さを実感したらしい。 ここから彼らは本格的に変わり始めるが、まだその魅力は限定されたファンにしか届いていなかった。 今聞けば、よく言えば、時代の先を行き過ぎていた印象がある。 少なくとも、まだ僕には理解できない段階であった。 その頃、僕は、大学を出て、就職した。 さらに色んな音楽を聴き、新社会人として戦っていた。 何と戦っていたのかわからないけど、彼らの昔の音源にはこの時も支えられていた。 あくまで昔の音源ではあるが、むしろ、当時より大きな存在になっていた。 変わり続ける音楽シーンを追いかけながら、年を重ねる中で、その最新系に付いていくことができない時、仕事やコミュニケーションで悩んだ時、あの頃の輝きを思い出した。 逃げだったかもしれない。 だけど心強かった。 何かに夢中になってる瞬間が好きなのは 何も考えずに済むから だけど油断するとすぐに襲ってくる頭悩ます痛み 1つ1つ増え続ける経験と想い出を抱いて 季節が変わる頃までには少しは自分も変わっているかな try your emotion 思い通りにいくほど take your dream 毎日は簡単じゃなくて 戸惑いや迷いが尽きることもないけど そこから抜け出す答えを教わるわけじゃない ーtry your emotion 目の前で待つ丘に take your dream 背を向けることはできない 乗り越えるために その先を見るために 悲しみを喜びをその切なさを蓄えて try your emotion 荒ぶる感情を抱いて take your dream 甘えた日常を捨てて いつでも見ていた いつの日か叶えたい 果てない君との夢を探してる オタクだし、友達も少ないし、話すのも得意ではなかったけど、好きなことだけしてればいいと思っていた。 音楽とアニメがあればいいと思ってた。 SNSの先にわかってくれる人がいれば、会う必要なんてないと思ってた。 でも、ふとした瞬間に頭をよぎる未来の悪いイメージがすごく嫌だった。 変わりたいと願った。 ほんの少しでいいから。 ひとつひとつ、いろんなことを経験していって、いつの日か、夢なんて大それた話じゃなくても、なりたい人間になろうと頭の片隅で思った。 消極的であったが、色んな幸運も重なり、少しずつ自分を変えてあげた。 きっとこの歌がなかったら・・・と今は強く思う。 2013年、松浦亜弥が橘慶太と結婚した。 僕はw-inds. の音楽は勿論好きだけど、ひとりの松浦亜弥のオタクとして、橘慶太には本当に感謝しているし、男としても尊敬している。 彼女が大変な時にちゃんと支えて、幸せな家庭まで築いてくれたことを本当に嬉しく思ってる。 最近の彼女の近況は掴めないけど、それでも橘慶太が旦那なら大丈夫なんだろうなあ・・・ってずっと信じてる。 信じられる。 初めて好きになったアイドルを、素敵な男性に取られた。 これは本当に嬉しいことである。 少しだけ脱線した。 そしてまた人生は続いていった。 少しずつ日々が変わっていく。 色んな人との出会いに恵まれていく。 学生時代に出来なかったいろんなことを、社会に出てから経験した。 それに伴って、聞く音楽も細分化されていった。 ジャンル分けするのも面倒なくらい、色んな音楽を、年を重ねるごとにたくさん好きになった。 長い長い道のりを歩く。 迷っては転ぶ。 立ち上がる。 決めたら迷わない。 その先に、ある日突然、w-inds. は立って、抱きしめてくれた。 それが本当に僕は嬉しかった。 あれは2014年、『夢で逢えるのに〜Sometimes I Cry〜』の時だった。 ラジオで聞いたような気がする。 高らかに天を突き抜けるようなファルセットに驚いた。 声が高いだけが取り柄の友人でさえ、カラオケでこの声が出なかったのを覚えている。 詳しい経緯はどこかで読んだくせに忘れてしまったけど、声帯トレーニングを繰り返し、声変わり後も挑戦し続けたんだな…凄いなってわかった。 カバーだけど何より曲が良かった。 僕は車から降りて、すぐさまGoogleで最近の活動を調べた。 その周辺の曲を聴いていくと、驚くくらいスムーズに、今自分が聞いてる音楽と繋がっていった。 名盤『timeless』が心に刺さる。 そこには、まさに時を超えて響く音楽が収録されていた。 レトロモダンに主軸を置いた楽曲たちが煌びやかでたまらない。 ミラーボールの輝くディスコ、あるいはタキシードで踊るような装い、今の感覚が絶妙にマッチしていた。 PVを見たら、まさにその通りだったからニヤついた。 以降、その流れにある『FANTASY』、高速最高ダンスチューン『In love With The Music』、名盤『Blue Blood』などなど、数々の名曲がリリースされていく。 良く言えば、彼らがずっとチャレンジしてきた音楽性に、やっと時代や僕らの感覚が、ほんの少しだけ追いついた気がした。 「おかえり」と言われてるような気がした。 何年ぶりだろうか?「ただいま」と心の中で叫んだ。 ちょっとした奇跡だと思った。 最初から違う人生を歩んできたアーティストとリスナーが久々に再会する。 簡単なことじゃない。 聞いてる音楽もあの頃とは全然違うし、経験してきたことも当然違う。 でも音楽が良かったから戻ってこれた。 嬉しかった。 きっと、心のどこかでまたこんな日が来ることを願っていた。 色んな音楽を聴いて、いろんな人に会って、季節は巡り、いつの日か叶えたい夢を追いかけてきた。 try your emotion try your emotion ・・・頭の中であの曲が流れる。 やっと、やっと僕は、再び彼らに向き合えた。 嬉しくて、嬉しくて、死んでしまうんじゃないか?と思った。 「人の好みは簡単に変えられない」と思われがちだけど、変わることもあるし、あの当時理解できなかったことの大半は教養が足りないから、向き合う角度が違ったから・・・かもしれないと最近は良く思う。 革命は続いていく。 17年、「ついに橘慶太がやりやがった!!」と確信できる、誰が聞いてもひっくり返る最新鋭のサウンドを纏った『We Don't Need To Talk Anymore』が完成した。 一般リスナーを飛び越え、その魅力は音楽関係者にも伝わっていった。 快進撃が始まる。 静かに、少し不気味に始まるイントロから展開し、低音のボーカルが乗る。 w-inds. 意味不明の感情を整理できないまま、滑らかに流れるBメロが、まるで絶頂のための前戯を誘うみたいに僕らを飲み込む。 サビ、「ボーカロイドでも使ってるのか?」と錯覚する驚異のキーで最高のドロップを生み出し、リスナーを快楽の底に落とす。 どこから声出してるんだ?もう楽器だろ??まるで鏡のように踊る三人の動きもまた美しい。 長年の鍛錬がなければ、できない業だとすぐわかる。 もう何が起こってるか理解できない状態である。 さらに驚きなのは、ライブでは、このサビを橘慶太が歌わない点である。 PVでも踊っている。 声が出ない?わけではなく、ダンスを見せるために歌わないのである。 そう、このサビはリスナーである僕らのため、である前に彼らのために用意されたサビなのである。 つまり、初期から彼らが大事にしてきた強みであるハイトーン、ダンスを現代風に落とし込んだ最適解。 やばすぎませんか??やばいですよね。 この激ヤバシングルを収録した『INVISIBLE』は特に名盤であった。 EDMが主流になっていく時代において、美しいドロップを作り上げた名曲がいくつも収録されていた。 ダンスをメインで見せるためのドロップ、まさにw-inds. の為にある楽曲ばかりが並ぶ。 なおかつ、初期のイケイケダンスチューンも収録されてる。 言い表せないJ-POP感も残されている。 さらに、さらに、橘慶太のボーカルは深みを増している。 最高の楽器すぎる。 低音も高音も過去最高に美しい。 彼らにしかできない音楽が、今最高の形で完成している。 なんだこれ!?すごくないか??って感動した。 「みんなもっと聞いてくれ」ってツイッターでも300000000回くらい言ってる。 w-inds. の繊細で力強いところを、十二分に表現したアルバム。 これは後世に語り継がれてもいい。 次作『100』ではそのミニマムな曲作りをさらに追求し、ライブではバンドの生音とも向き合いながら、セルフプロデュースにより全てを作り上げた。 かっこいい。 かっこいいなあと心の底から思った。 キラキラに輝いていた。 最新曲もかっこいい。 かっこいい音楽を作り続けるw-inds. から、どんどん目が離せなくなった。 もうきっと、「心が離れることはない」って思った。 一緒に、もっと近くで彼らの音と、人生を歩んでいけるこの先が、楽しみで仕方なかった。 変わりゆく空の中で稲妻は落ちる かくして僕はw-inds. と劇的な再会と抱擁を果たした。 しかし、ライブには結局一度も行かなかった。 なんだか今更会うのは恥ずかしいというか、自分のような声優やアニメのオタクをしてる中年が足を運んで良いのか一度は迷った。 そういう迷いを断ち切れなかったのと、『100』が良く出来た作品すぎて、最近までちゃんと整理がつかなくて、結局そのツアーも行かなかった。 次、次行けばいいかって何度も思った。 そうこうしてるうちに、世界は一変し、ライブどころではなくなった。 本当、いつもそうやって突然、何もかもぶち壊れてしまう。 日常は変わっていく。 ちょっと料理なんか始めてみたり、色んなことをまた少しずつ変えていく。 過去を振り返る行為も増えた。 音楽は、彼らの音楽はそんな時でも変わらず、僕を支えてくれた。 もう振り返らなくても、彼らがそばにいてくれるのがわかった。 5月、彼らのライブ映像がYouTube公開された。 初めてワンマンライブの映像を見た。 無料なのが申し訳なくなるくらい、良すぎて3周くらい見た。 歌、ダンスが本当に素晴らしい。 ここまでは予想通り、なのに、そのクオリティは予想のはるか上を駆け上がった。 感動が止まらない。 しかも、生バンドでダンスミュージックを演奏しているのである。 僕の大好きなやつ。 めちゃめちゃいいグルーヴが広がってるのが、映像を見ただけでわかる。 今の曲も、過去の曲も全部良かった。 正直、この自粛期間に見てきた映像の中で、一番良かった。 音楽の理想の一つがあった。 「ああ…俺はいつかこの現場に行かなきゃダメだ」とやっと確信した。 「次のアルバムが出たら」…やっとそう思えた時だった。 間に合わなかった。 言葉を失った。 約束のカケラを持って 次のアルバムが出る時、ステージに緒方龍一はいない。 この先、僕がライブを見にいっても、2人のw-inds. しかいない。 その事実を考えた時、僕は涙を止めることが出来なかった。 心の中で「大丈夫大丈夫、この先、2人のw-inds. を次ちゃんと見にいくから」って思って、何事もない顔してたけど、やっぱり悲しかった。 見たかった。 あの笑顔、歌声、ラップ、その姿勢を。 三人そろった姿を。 上記の通り、ずっと追いかけてたわけじゃないけど、初めて知った時からずっと3人だったから。 僕が彼らの音楽から離れていた時も、彼らは3人だったから。 頑張ってたの知ってるから。 心のどこかで、それが19年くらいすごく頼もしいことだった。 変わっても変わらないことだった。 色んなことが変わっていく中で、それは大切なことだった。 忘れてなんかない。 音楽にちゃんと興味を持って、初めてラジオから流れる曲を録音したことを。 そうして僕が作り上げたMDにもw-inds. は入っていた。 あの頃から3人だった。 ずっと続いていくと思っていた。 「w-inds. は橘慶太の圧倒的なボーカルと曲作りありきで成り立ってる。 だからメンバーが1人欠けても問題ない」…と思うのがおそらく一般的な解釈である。 いや、違う。 全然そんなことはない。 あのダンスとコーラスワーク無しにして、2人の存在無しにして、20年近くは活動できなかった。 それは、部分的に見てきた自分でもわかること。 この間のライブ映像でも、3人ともすごく仲が良かったから、思い出したら本当に悲しい。 「お前ら、学生時代に友達と組んだバンドのまま大人になったのか??」と思えるくらい仲が良かった。 緒方龍一はムードメーカー?ちょっとやんちゃなイメージがある。 きっとすごくいい奴なんだってわかる。 必要だった。 3人で並んでる姿が好きだった。 3人の笑顔見てたらわかる。 溢れ出していく思いは止まらない。 そんな諸々を、僕はw-inds. が3人のうちにちゃんと届けなきゃいけなかった。 ライブに行かなきゃダメだった。 ごめんね。 過去は取り戻せないから、せめて言葉にしてる。 何か形にして、残しておきたかった。 それだけ。 好きなものは増え続けて、時間は足りなくて、失いたくないからちゃんと現場に行こうと何度も思って、わかってても、こうやって人は過ちを繰り返す。 もう、こういうのは最後にしたい。 これを読んでる人はきっとわかってるそんなこと。 でも、自分のつまらないプライドとか迷いで、行きたい場所に行かないのは、やっぱりやめたほうがいい。 見られるときに、見られる景色を見に行く。 それが生きてるってことなんじゃないかなって。 僕は実感した。 とにかく、次のライブが決まったら、今度こそ見に行く。 2人の姿を見に行く。 伝えなきゃこの気持ちを。 約束がある。 色々書いてきたのに、全然整理できない気持ちだった。 書くことは救いではない。 でもちゃんと、ツイートみたいに流れて、消えていくわけじゃない場所に書いたから、きっと意味はある。 そんな気持ちを支えてくれたのは、こんな時もやはり音楽だった。 言語化できないけど、1番好きな曲を聴いた時、僕はこのブログを書こうと思えた。 その歌詞を、結びの言葉にしようと思う。 どんな涙も意味があるなら 出会いのように別れ受け止めたい なくした君も まだ見ぬ人も 未来のどこかで行き交っていく 3人のw-inds. をこれまでありがとう。 これからのw-inds. を楽しみにしてます。

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Little Glee Monster

きっとこの涙が笑顔に変わっていく

私ごとではあるが、今俺はちょっと人生のキツイ所にいるんだと思う。 そんな時に高橋優の「明日はきっといい日になる」を聞いて本気で涙が出た。 良い歌だなぁと思ったし、本当に明日からまたがんばろうとも思った。 もちろん俺はこの曲が大好きになった。 だけど、そのその後にうっかり、そううっかりPVを検索してしまったんだ… そしてすごくガッカリしてしまった、という話をしたいと思う。 ここからはマイナスな意見を俺の主観でしか語らないから、この曲のPVが好きだって人には、お前なんなんだって思う人がいると思うので、そんな人はここで読むのをやめてもらった方がいいと思う。 まずは 「明日はきっといい日になる」はこんな歌だから一度聞いて欲しい。 高橋優• ロック• provided courtesy of そして次はPVも見て欲しい。 俺はこの曲が、すごい頑張ったとしても思った通りにうまくいくことなんて少ないんだよ、だけどそれでもいいじゃない、そんな悲しい経験だって自分の糧となって明日に繋がっていくし、明日はきっといい日になるよって応援してくれている歌だと思えた。 しかも、そんなことをバラード調でありがたがって聴けよって歌うんじゃなくて、励ますような楽しい曲調で歌っている事にとても好感を持った。 この人はとても良い人なんだろうなぁ…なんて。 だけど、そんな曲のPVは俺には意味がわからなかった。 意図がぼやけてて伝わって来なかった。 ……だからとっても悲しくなった。 最初はなんか良い雰囲気でPVが始まったから、期待してしまった。 物語が始まるようだった。 歌詞だけではわからない伝えたかったことが映像になっているんだろうなぁ、と漠然と思っていた。 電車にサラリーマンが座っていて、歌の主人公なんだとわかった。 歌詞通りに席を譲ろうとするも、おばちゃんに断られている。 降りる駅に着いたことに気がついて急いでおりようとして、人にぶつかって書類をあたりにぶっ放す。 電車から降りる人々はそんな彼を無視して電車を降りて行く。 みんな素知らぬ顔のなか、一人の男が最後に書類を拾って渡してくれた。 その男がだった。 そしてスッと電車を降りて行く。 まず、このくだりが俺には理解できなかった。 本当にこんなにみんなが人に無関心なのか?人間関係など何もバックグラウンドのない中で見知らぬ人が書類をぶっ放したところを目撃したら、必ず人は手伝ってくれると思う。 世の中そんなにドライじゃない。 (もちろん演出だから、そんなもんってわかっているが…) 俺もコンビニで小銭ぶちまけたことがあるが、店員さんだけじゃなく、そこらのお客さんも小銭拾うのを手伝ってくれた経験がある、少なくとも俺の周りの知らない人の何人かはそうだった。 さらに、その書類を拾う場面のインサートで、サラリーマンの会社での様子(上司に提出書類を破かれ捨てられる、同僚から白い目で見られている)が回想される。 このインサートはどうなんだろう。 冒頭でこのサラリーマンが電車に乗る時に降りてくる中年とぶつかって頭をさげるところで、このサラリーマンがきっとダメなやつなんだろうな、と思わせる刷り込みはすでに完了しているのに… あえてサラリーマンにバックグラウンドを持たせることに意味はないと思った。 会社で虐げられていることをこんなに明確にする必要があるんだろうか? そのインサートの後に先ほどの書類を拾ってくれるシーンに繋がる。 ここも善意で拾ってくれる良い人もいるよと伝えたいのだろうが、俺にはそうは見えなかった。 むしろできないやつを哀れんで見下しているかのような顔に見えてしまった。 そこから物語はサラリーマンと同じ車両に乗っていた女子高生にバトンタッチしていく。 教室の彼女の机は、明らかにいじめであることがわかる落書きでいっぱいだ。 彼女は意を決して、机の落書きを消し始めると誰かが彼女の肩を叩いた、それをきっかけにインサートが始まる。 いじめの落書きだらけの机を、友達と思われる同級生たちが一緒に消してくれている様子だ。 彼女の表情も嬉しさのためか少しずつ笑顔に変わっていく… しかし、インサートが終わると彼女の肩を叩いたのは、いじめている女の子の手であり、生たまごを彼女の机に割るという暴挙に出る。 ここでも俺はこのインサートの意味が全く理解できなかった。 なにを伝えるためのものなのか?昔は本当に友達が助けてくれていたのか?それともただ、そうだったらいいのにという彼女の幻想にすぎないのか?判断ができない。 追記:後日よく見てみると、インサートで助けてくれていた友達たちはいじめっ子と一緒の人だったから、これは彼女の幻想というか希望的なことだったみたい。 たまらず彼女は教室を飛び出していき、そこで一人の教師をぶつかる。 その教師がだった。 彼女は雨の降る屋上に佇んでいた。 きっと泣いているんだろう。 するとそこに先ほどの教師が現れてハンカチを差し出す。 これも非常に疑問だ。 なぜ教師なんだろう?同級生である方がきっと彼女の救いになったのではないかと思わずにはいられない。 先ほどのインサートがどんどん理解できなくなっていく。 画は変わり、先ほどのサラリーマンと行く道が一緒なのであろう、雨の中を少し離れて並んで歩いているずぶ濡れの彼女の手には、先ほどのシーンで渡されたハンカチが握られている。 二人の歩く先に楽しそうに路上で弾き語りの歌を聴いている人たちがいる。 その弾き語りはだった。 二人とも自然と足が止まり、雨に濡れながらも熱唱する弾き語りの歌に聴き入っていく。 傘をさしていたいたサラリーマンは隣で歌を聴いている彼女にスっと傘を差し出す。 彼女もそれに気づいて次第に笑顔に変わっていく。 ただ、ここでもインサートがあり、とが歌を口ずさんでいる場面が… これも本当に意味がわからなかった。 有名人を起用したことでの商業的に必要なシーンなのかもしれないが、なんのためのシーンなのかが伝わってこなかった。 そして、サラリーマンと彼女の笑顔で映像は終わる。 このPVの中で感じた疑問は先述のとおりだが、 ほっこりとした善意に救われるようなPVなのかと想像していただけに、俺の中では、作られた印象の強い善意ばかりに感じて、俺は悲しくなったんだと思う。 もっと人の善意は自然なものだと思うから… 現状は変わらぬままだけど、明日はいい日になるからというだけのことなのかな? テーマはそれで良いんだろうけど、もう少し救いが欲しかったなぁ… それとも見た映像がショートver. だったからわからないことが多かっただけなのかな? ただ、最後のサラリーマンのスッキリとした表情が印象的で少し救われた。 長々とした駄文に最後までお付合いいただきありがとうございます。 一つ付け加えに、出演者個人への誹謗中傷ではないことを付け加えて結びたいと思います。

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ファンモンのありがとうの歌詞を教えてください

きっとこの涙が笑顔に変わっていく

私ごとではあるが、今俺はちょっと人生のキツイ所にいるんだと思う。 そんな時に高橋優の「明日はきっといい日になる」を聞いて本気で涙が出た。 良い歌だなぁと思ったし、本当に明日からまたがんばろうとも思った。 もちろん俺はこの曲が大好きになった。 だけど、そのその後にうっかり、そううっかりPVを検索してしまったんだ… そしてすごくガッカリしてしまった、という話をしたいと思う。 ここからはマイナスな意見を俺の主観でしか語らないから、この曲のPVが好きだって人には、お前なんなんだって思う人がいると思うので、そんな人はここで読むのをやめてもらった方がいいと思う。 まずは 「明日はきっといい日になる」はこんな歌だから一度聞いて欲しい。 高橋優• ロック• provided courtesy of そして次はPVも見て欲しい。 俺はこの曲が、すごい頑張ったとしても思った通りにうまくいくことなんて少ないんだよ、だけどそれでもいいじゃない、そんな悲しい経験だって自分の糧となって明日に繋がっていくし、明日はきっといい日になるよって応援してくれている歌だと思えた。 しかも、そんなことをバラード調でありがたがって聴けよって歌うんじゃなくて、励ますような楽しい曲調で歌っている事にとても好感を持った。 この人はとても良い人なんだろうなぁ…なんて。 だけど、そんな曲のPVは俺には意味がわからなかった。 意図がぼやけてて伝わって来なかった。 ……だからとっても悲しくなった。 最初はなんか良い雰囲気でPVが始まったから、期待してしまった。 物語が始まるようだった。 歌詞だけではわからない伝えたかったことが映像になっているんだろうなぁ、と漠然と思っていた。 電車にサラリーマンが座っていて、歌の主人公なんだとわかった。 歌詞通りに席を譲ろうとするも、おばちゃんに断られている。 降りる駅に着いたことに気がついて急いでおりようとして、人にぶつかって書類をあたりにぶっ放す。 電車から降りる人々はそんな彼を無視して電車を降りて行く。 みんな素知らぬ顔のなか、一人の男が最後に書類を拾って渡してくれた。 その男がだった。 そしてスッと電車を降りて行く。 まず、このくだりが俺には理解できなかった。 本当にこんなにみんなが人に無関心なのか?人間関係など何もバックグラウンドのない中で見知らぬ人が書類をぶっ放したところを目撃したら、必ず人は手伝ってくれると思う。 世の中そんなにドライじゃない。 (もちろん演出だから、そんなもんってわかっているが…) 俺もコンビニで小銭ぶちまけたことがあるが、店員さんだけじゃなく、そこらのお客さんも小銭拾うのを手伝ってくれた経験がある、少なくとも俺の周りの知らない人の何人かはそうだった。 さらに、その書類を拾う場面のインサートで、サラリーマンの会社での様子(上司に提出書類を破かれ捨てられる、同僚から白い目で見られている)が回想される。 このインサートはどうなんだろう。 冒頭でこのサラリーマンが電車に乗る時に降りてくる中年とぶつかって頭をさげるところで、このサラリーマンがきっとダメなやつなんだろうな、と思わせる刷り込みはすでに完了しているのに… あえてサラリーマンにバックグラウンドを持たせることに意味はないと思った。 会社で虐げられていることをこんなに明確にする必要があるんだろうか? そのインサートの後に先ほどの書類を拾ってくれるシーンに繋がる。 ここも善意で拾ってくれる良い人もいるよと伝えたいのだろうが、俺にはそうは見えなかった。 むしろできないやつを哀れんで見下しているかのような顔に見えてしまった。 そこから物語はサラリーマンと同じ車両に乗っていた女子高生にバトンタッチしていく。 教室の彼女の机は、明らかにいじめであることがわかる落書きでいっぱいだ。 彼女は意を決して、机の落書きを消し始めると誰かが彼女の肩を叩いた、それをきっかけにインサートが始まる。 いじめの落書きだらけの机を、友達と思われる同級生たちが一緒に消してくれている様子だ。 彼女の表情も嬉しさのためか少しずつ笑顔に変わっていく… しかし、インサートが終わると彼女の肩を叩いたのは、いじめている女の子の手であり、生たまごを彼女の机に割るという暴挙に出る。 ここでも俺はこのインサートの意味が全く理解できなかった。 なにを伝えるためのものなのか?昔は本当に友達が助けてくれていたのか?それともただ、そうだったらいいのにという彼女の幻想にすぎないのか?判断ができない。 追記:後日よく見てみると、インサートで助けてくれていた友達たちはいじめっ子と一緒の人だったから、これは彼女の幻想というか希望的なことだったみたい。 たまらず彼女は教室を飛び出していき、そこで一人の教師をぶつかる。 その教師がだった。 彼女は雨の降る屋上に佇んでいた。 きっと泣いているんだろう。 するとそこに先ほどの教師が現れてハンカチを差し出す。 これも非常に疑問だ。 なぜ教師なんだろう?同級生である方がきっと彼女の救いになったのではないかと思わずにはいられない。 先ほどのインサートがどんどん理解できなくなっていく。 画は変わり、先ほどのサラリーマンと行く道が一緒なのであろう、雨の中を少し離れて並んで歩いているずぶ濡れの彼女の手には、先ほどのシーンで渡されたハンカチが握られている。 二人の歩く先に楽しそうに路上で弾き語りの歌を聴いている人たちがいる。 その弾き語りはだった。 二人とも自然と足が止まり、雨に濡れながらも熱唱する弾き語りの歌に聴き入っていく。 傘をさしていたいたサラリーマンは隣で歌を聴いている彼女にスっと傘を差し出す。 彼女もそれに気づいて次第に笑顔に変わっていく。 ただ、ここでもインサートがあり、とが歌を口ずさんでいる場面が… これも本当に意味がわからなかった。 有名人を起用したことでの商業的に必要なシーンなのかもしれないが、なんのためのシーンなのかが伝わってこなかった。 そして、サラリーマンと彼女の笑顔で映像は終わる。 このPVの中で感じた疑問は先述のとおりだが、 ほっこりとした善意に救われるようなPVなのかと想像していただけに、俺の中では、作られた印象の強い善意ばかりに感じて、俺は悲しくなったんだと思う。 もっと人の善意は自然なものだと思うから… 現状は変わらぬままだけど、明日はいい日になるからというだけのことなのかな? テーマはそれで良いんだろうけど、もう少し救いが欲しかったなぁ… それとも見た映像がショートver. だったからわからないことが多かっただけなのかな? ただ、最後のサラリーマンのスッキリとした表情が印象的で少し救われた。 長々とした駄文に最後までお付合いいただきありがとうございます。 一つ付け加えに、出演者個人への誹謗中傷ではないことを付け加えて結びたいと思います。

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