源氏物語 作者。 源氏物語絵巻

源氏物語

源氏物語 作者

平安時代中期の。 ただし,そのすべてが式部のに成るのではないとするもある。 54帖。 1004~12 頃成立か。 物語は3部に分けてみることができる。 第1部は,,などすべてにすぐれたが,多くの女性と関係をもちながら,運命に導かれてをきわめる姿を描く。 これに対して第2部はの世界であって,光源氏はのを失い,栄華は内側から崩壊する。 第3部 は光源氏没後の物語で,不義によって生れたを主人公として,不安に満ちた暗い世界が展開される。 さまざまな愛と運命的な人生のうちに,社会の苦悩を摘出したところに価値があり,現代では,世界的なとして広く迎えられている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 平安中期の物語。 54帖。 長保3年(1001)以後の起筆とされるが、成立年未詳。 巻名は、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上・下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 幻の次にがあったとされるが、巻名のみで本文は伝わっていない。 主人公の愛の遍歴と栄華を描き、やがて過去の罪の報いを知り苦悩の生涯を終える、幻までのと、・紅梅・竹河をつなぎとして、橋姫以下の、罪の子を主人公にした暗い愛の世界を描いた宇治十帖とよばれるから成る。 仏教的観を基底に、平安貴族のが描かれて、後世の文芸に与えた影響も多大。 げんご。 しぶん。 げんじのものがたり。 による の現代語訳。 最初の訳は明治45年(1912)~大正2年(1913)刊。 二度目の訳に取りかかるも原稿をにより焼失。 その後、新新訳を昭和13年(1938)~昭和14年(1939)に刊行。 与謝野源氏。 最初の訳は昭和14年(1939)~昭和16年(1941)で全26巻。 新訳は昭和26年(1951)~昭和29年(1954)で全12巻。 新新訳は昭和39年(1964)~昭和40年(1965)で全10巻、別冊1巻の刊行。 谷崎源氏。 出典 デジタル大辞泉について の解説 平安中期の長編物語。 54帖。 1008年ごろにはすでにその一部が流布しており,執筆は長期にわたったと思われる。 時の帝を父とし更衣を母として生まれた光源氏が,葵上 あおいのうえ ,夕顔,紫上等々の女性と交渉をもち,また父帝の中宮藤壺との恋に苦悩しながらも,太政大臣から太上天皇に準ぜられ栄華をきわめる物語。 終りの10帖は源氏の子薫大将と宇治の浮舟の恋愛を描いて〈宇治十帖〉と称される。 文章は華麗で人物・自然の描写にすぐれ,各巻が独立した場面を形成しながら全体で緊密な長編小説としてのまとまりをみせ,古典文学の最高峰とされている。 写本によって読まれたが,転写の間に生じる誤写や,付加,削除,また後人による補作の巻が複数あったらしく,平安末期には《源氏物語》本文は錯雑たる様相を呈していたと考えられる。 鎌倉初期にはによる〈〉,・親行父子による〈〉などの整定本がつくられた。 また《》をはじめとし,の《》などまで多くの注釈があり,近代以降の国文学的研究の前提となっている。 以後の物語はもちろん,が〈源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり〉としたように,和歌をはじめとする日本文学への影響は絶大なものがあり,遊女の名を〈〉ということまで,日本文化史における意義は巨大。 54巻。 作者は。 [構成] 現代ではを三部構成と見る説が有力である。 第1部は,1桐壺(きりつぼ),2帚木(ははきぎ),3空蟬(うつせみ),4夕顔,5若紫,6(すえつむはな),7(のが),8花宴(はなのえん),9葵,10賢木(),11花散里(はなちるさと),12須磨,13明石,14澪標(みおつくし),15蓬生(よもぎう),16関屋,17絵合,18松風,19薄雲,20朝顔,21少女(おとめ),22玉鬘(たまかずら),23初音(はつね),24胡蝶,25蛍,26常夏(),27篝火(かがりび),28野分,29行幸(みゆき),30藤袴(ばかま),31真木柱(まきばしら),32梅枝(がえ),33藤裏葉(ふじのうらば)。 出典 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について の解説 物語。 五四帖。 紫式部作。 1001~5年の間に起筆、成立年未詳。 巻名と巻序は次のとおり。 桐壺(「壺前栽」「かがやく日の宮」とも)・帚木 ははきぎ・空蟬 うつせみ・夕顔・若紫・末摘花 すえつむはな・紅葉賀 もみじのが・花宴 はなのえん・葵・賢木 さかき・花散里・須磨・明石(「浦伝 うらつたい」とも)・澪標 みおつくし・蓬生 よもぎう・関屋・絵合・松風・薄雲・朝顔 あさがお・乙女 おとめ(「日影」とも)・玉鬘 たまかずら・初音・胡蝶・蛍・常夏 とこなつ・篝火 かがりび・野分 のわき・行幸 みゆき・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉・若菜上(「箱鳥」とも)・若菜下(「諸鬘 もろかずら」とも)・柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法 みのり・幻・匂宮 におうのみや(「匂兵部卿」「薫中将」とも)・紅梅・竹河・橋姫(「優婆塞 うばそく」とも)・椎本 しいがもと・総角 あげまき・早蕨 さわらび・宿木(「貌鳥 かおどり」とも)・東屋(「狭蓆 さむしろ」とも)・浮舟・蜻蛉 かげろう・手習・夢浮橋(「法の師」とも)。 「幻」の次に「雲隠」の巻があったとも言われているが、巻名だけで本文は伝わっていない。 「幻」までは、多くの女性との交渉を中心に光源氏の栄華と苦悩の生涯を描く。 「匂宮」から「竹河」の三帖をつなぎとして、「橋姫」以下の一〇帖(特に「宇治十帖」と呼ぶ)は、舞台を洛外に移して、薫・匂宮と宇治の姫君たちとの恋愛、そしてその悲劇を綴る。 構成・心理描写・自然描写に優れ、物語文学の最高峰とされる。 後世の文学に及ぼした影響はきわめて大きい。 古くは「源氏の物語」「光源氏物語」「紫の物語」などと呼ばれた。 出典 大辞林 第三版について の解説 平安時代中期の11世紀初め、紫式部によって創作された長編の虚構物語。 正しい呼称は「源氏の物語」で、「光源氏 ひかるげんじ の物語」「紫の物語」「紫のゆかり」などの呼び方もある。 後世は「源氏」「源語」「紫文」「紫史」などの略称も用いられた。 主人公光源氏の一生とその一族たちのさまざまの人生を70年余にわたって構成し、王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実を優艶 ゆうえん に、かつ克明に描き尽くしている。 これ以前の物語作品とはまったく異質の卓越した文学的達成は、まさに文学史上の奇跡ともいうべき観がある。 以後の物語文学史に限らず、日本文化史の展開に規範的意義をもち続けた古典として仰がれるが、日本人にとっての遺産であるのみならず、世界的にも最高の文学としての評価をかちえている。 [秋山 虔] 巻冊数・成立事情現存の『源氏物語』は次の54巻からなる。 1桐壺 きりつぼ 2帚木 ははきぎ 3空蝉 うつせみ 4夕顔 ゆうがお 5若紫 わかむらさき 6末摘花 すえつむはな 7紅葉賀 もみじのが 8花宴 はなのえん 9葵 あおい 10賢木 さかき 11花散里 はなちるさと 12須磨 すま 13明石 あかし 14澪標 みおつくし 15蓬生 よもぎう 16関屋 せきや 17絵合 えあわせ 18松風 まつかぜ 19薄雲 うすぐも 20朝顔 あさがお 21少女 おとめ 22玉鬘 たまかずら 23初音 はつね 24胡蝶 こちょう 25蛍 ほたる 26常夏 とこなつ 27篝火 かがりび 28野分 のわき 29行幸 みゆき 30藤袴 ふじばかま 31真木柱 まきばしら 32梅枝 うめがえ 33藤裏葉 ふじのうらば 34若菜 わかな 上 35若菜下 36柏木 かしわぎ 37横笛 よこぶえ 38鈴虫 すずむし 39夕霧 ゆうぎり 40御法 みのり 41幻 まぼろし 42匂宮 におうのみや 43紅梅 こうばい 44竹河 たけかわ 45橋姫 はしひめ 46椎本 しいがもと 47総角 あげまき 48早蕨 さわらび 49宿木 やどりぎ 50東屋 あずまや 51浮舟 うきふね 52蜻蛉 かげろう 53手習 てならい 54夢浮橋 ゆめのうきはし 紫式部が『源氏物語』の執筆に着手したのは、夫の藤原宣孝 のぶたか に死別した1001年(長保3)から、一条 いちじょう 天皇中宮彰子 しょうし のもとに出仕した1005、1006年(寛弘2、3)までの間と推定されるが、54巻が、どの時点でどのあたりまで書かれたのかは明らかにしがたい。 全部が完成したのちに発表されたのではなく、1巻ないし数巻ずつ世に問われたらしいが、まず最初の数巻が流布することによって文才を評価された式部は、そのために彰子付女房として起用されたのであろう。 宮仕えののちも、しばしば里邸に下がって書き継いだとおぼしいが、また、すでに書かれた巻々の加筆改修も行われたらしいことが『紫式部日記』の記事によって知られる。 なお、現行の巻序の順に書かれたのかどうか、現行の54巻の形態が当初のものであったのかどうかなど、論議が重ねられているが、決着をみない。 その擱筆 かくひつ の時期は、紫式部の没年について定説のないこととあわせて、明確にしがたい。 [秋山 虔] あらすじ『源氏物語』は、その主題・構成に即して、第1部(1「桐壺」から33「藤裏葉」まで)、第2部(34「若菜上」から41「幻」まで)、第3部(42「匂宮」から54「夢浮橋」まで)の三部作としてとらえることができる。 [秋山 虔] 第1部「桐壺」~「藤裏葉」第1部は、主人公光源氏の出生以前から始まる。 ある帝 みかど の後宮 こうきゅう で、故大納言 こだいなごん の娘の桐壺更衣 きりつぼのこうい は、支援する後見 うしろみ もないまま多くの后妃 こうひ たちを引き離して帝の愛を独占し、やがて無類の美貌 びぼう と才質に恵まれた第2皇子を生んだ。 しかしながら更衣は同輩たちの憎悪嫉妬 しっと の的となり、皇子が3歳の年、心労のあまり病死した。 更衣の遺児の皇子は帝の庇護 ひご のもとに成長し、学問諸芸の万般に神才を発揮した。 帝はこの皇子を東宮 とうぐう にたて、やがては皇位を譲ろうと願ったが、周囲の支持も得がたくて断念し、臣籍に下して源姓を賜ることになった。 東宮となったのは、右大臣の娘弘徽殿女御 こきでんのにょうご 腹の第1皇子朱雀院 すざくいん である。 12歳で元服した源氏の君は、左大臣の娘で、帝の妹宮を母とする葵の上 あおいのうえ と結婚し、その社会的地位の安泰も約束されたが、しかし母桐壺更衣の亡きあと後宮の藤壺 ふじつぼ に迎えられて父帝の最愛の妃となった先帝の四の宮を恋慕し、ついに抑えがたい情熱に駆られて密通し、その結果藤壺は身ごもった。 2人は絶対に知られてはならぬ罪を共有したのである。 ふたたび藤壺に近づくことを禁圧された源氏は愛の渇きに苦しみ、ここに際限ない女性遍歴が始まる。 藤壺の姪 めい の紫の上を北山にみいだし、無理に自邸二条院に迎え取ったのも、この少女に藤壺のおもかげを求めてのことである。 藤壺はやがて男子冷泉院 れいぜいいん を生んだが、秘密を知らぬ帝は、源氏に生き写しの皇子の誕生に歓喜した。 源氏20歳の年、帝は朱雀院に譲位し、冷泉院が東宮となったが、しかし朱雀院の治世になると、その母弘徽殿大后 おおきさき や右大臣一族の繁栄と表裏して、源氏や左大臣の勢力が衰退に向かうのは必然であった。 源氏の生活にも不幸の影が忍び寄る。 正妻葵の上が長男夕霧を出産ののち、執拗 しつよう な物の怪 もののけ に取り憑 つ かれて死去したのである。 その物の怪は、賀茂 かも の斎院 さいいん の御禊 ごけい の日に、葵の上の一行との車争いによって辱められた六条御息所 ろくじょうのみやすどころ の生霊 いきりょう なのであった。 御息所は、いまは故人である前東宮の妃であり、かねてより源氏を忍びに通わせる人であったが、この事件のために源氏との仲を断念し、おりから伊勢 いせ の斎宮 さいくう として下向する娘とともに京を離れた。 こうして源氏の身辺には暗雲がたち始めるが、ことに23歳の年父院が崩御されるや、右大臣一派の専横によってしだいに苦境に追い詰められた。 そうした状勢のもとで、源氏と、尚侍 ないしのかみ として朱雀院の寵愛 ちょうあい を受けていた朧月夜 おぼろづきよ との仲が露見する。 朧月夜は右大臣の娘、弘徽殿の妹で、入内 じゅだい 前から源氏とは忍びの仲だったのである。 激怒した弘徽殿や右大臣は、この機会に源氏を謀反者に仕立てて政界から抹殺しようとたくらんだ。 源氏は26歳の春、自ら京を離れて須磨 すま の地に退居し、謹慎の生活に入ったが、1年後、暴風雨に襲われ、夢枕 ゆめまくら に現れた父帝の亡霊の教えに従い、明石 あかし の海岸に居を構える明石の入道の邸 やしき に移住した。 やがて入道の娘明石の君と契って、その腹に明石の姫君をもうける。 源氏は2年余の流浪ののち都に召還され、まもなく朱雀院にかわって冷泉院の治世になると、政界に返り咲いた左大臣らとともに栄華への道を直進することになったが、しかしその段階になると源氏はしだいに左大臣家と対立関係を深めるに至った。 葵の上の兄であり、かつては無二の盟友であった頭中将 とうのちゅうじょう を制圧し、無類の権勢を確立したのである。 源氏32歳の年、藤壺が崩御し、夜居 よい の僧の密奏によって自己の出生の秘密を知った冷泉院は、父源氏に譲位しようとしたが、源氏はその意向を返上し、やがて太政 だいじょう 大臣から准太上 だいじょう 天皇の位に上り、六条院という地上の楽園を建設して栄華を極めた。 以上、源氏39歳までを語る第1部の概要であるが、この間、帝の后妃でありながら源氏と共有した罪に苦しみつつ冷泉院を守 も り立てた藤壺の一生はもとより、空蝉 うつせみ 、夕顔、末摘花 すえつむはな などとのあやにくな交渉をはじめとして、夕顔の遺児玉鬘 たまかずら が源氏の愛の対象となって心を砕きつつも鬚黒大将 ひげくろのたいしょう の妻に収まる経過、源氏の長男夕霧が頭中将の娘雲居雁 くもいのかり との幼い恋仲をさかれたものの、ついには晴れて結ばれる経緯、その他さまざまの人生が複雑に織り込まれながら、前記のごとき源氏の栄華の完成の過程が構成されている。 [秋山 虔] 第2部「若菜上」~「幻」ところが第2部に入ると、物語の世界の基調は暗転し、朱雀院の重い病から語り起こされる。 院は出家を願うが、すでに母女御に先だたれている内親王女三の宮 おんなさんのみや の将来が憂慮されるので日夜思案に迷っていた。 婿選びに苦慮したすえ、結局源氏にゆだねることによって出家することができたが、しかし女三の宮の源氏への降嫁によって、源氏と紫の上との年来の信頼関係を軸として保たれてきた六条院の調和が崩れ始める。 もっとも源氏の世間的栄華は従前と変わりなく、むしろ増さるものであったといえよう。 そして紫の上に養育されて東宮妃となった明石の姫君に男子が誕生し、この男子が将来帝位に上るであろうことも確実ゆえ、源氏の家門の末長い繁栄は約束されている。 もとより誇り高く賢明な紫の上は、その知恵をもって六条院世界の秩序・調和の維持に努めたが、ついには心労のため病を得、六条院を去って二条院で養生する身となる。 その紫の上の看病に源氏が余念のないころ、女三の宮は、かねてより彼女に思慕を寄せていた柏木 かしわぎ に迫られ、身を許して身ごもった。 この真相を知った源氏は、この事態を、かつて父院を裏切って藤壺と密通した罪の報いとして受容するほかない。 女三の宮は罪の子薫 かおる を生んでまもなく出家し、柏木は犯した罪の重みに堪えられず病み臥 ふ していたが、源氏の長男夕霧に後事を託して世を去った。 夕霧は柏木の遺族をいたわるうちに、残された妻落葉 おちば の宮への同情はやがて恋慕に変じて、一方的に思いを遂げた。 そのために夕霧と正妻雲居雁との仲も険悪化するに至る。 こうして源氏の身辺には数々の不幸な事態が生起するが、そのなかで病状の悪化した紫の上は、源氏51歳の年に死去した。 源氏は紫の上を追慕しわが生涯を顧みながら1年を過ごし、出家への心用意を整えた。 こうして第2部は、源氏の無類の栄華が崩落していく過程が、さながら必然的な姿で語られている。 現世の富も名声も、そして愛も絶対ではないのである。 [秋山 虔] 第3部「匂宮」~「夢浮橋」第3部になると、源氏亡きあとの縁者の物語であるが、若干の後日譚 たん を経て、いまは20歳となっている罪の子薫 かおる と宇治の姫君たちとの交渉が宇治の地を背景として新しく語り起こされ、巻45の「橋姫」から最終巻「夢浮橋」の10巻は「宇治十帖 うじじゅうじょう 」とよばれている。 わが出生の秘密を感じ取って世間への執着を断ち、出家への本願を抱く薫は、宇治に隠棲 いんせい する俗聖 ぞくひじり 八の宮を求道の先達と仰いで通ううちに、その娘大君 おおいぎみ にひかれ、やがて八の宮の死後大君に求婚するが、大君は薫と結ばれたなら、相手を理想化しての敬愛関係が崩壊するであろうことを恐れて、拒否した。 かわりに妹の中の君を薫にめあわせようとするが、薫は、いまは中宮となっている明石の姫君の皇子匂宮 におうのみや と中の君との仲をとりもち、結婚させた。 しかし中の君の身の上を憂慮した大君は、心労の果てに病死した。 大君を失った薫は、彼女のおもかげを中の君に求めたが、中の君から異腹の妹浮舟の存在を知らされ、尋ね出して宇治に住まわせた。 しかし浮舟はやがて匂宮に迫られて契りを交わすはめになり、ついに進退に窮したすえ、宇治川に身を投じようと決意したが、横川 よかわ の僧都 そうず に救われて小野の山里に隠れ住み、僧都の得度により出家した。 失踪 しっそう した浮舟を捜し求めた薫は、その生存を聞きつけ、浮舟の弟を使者にたて浮舟を訪ねさせたが、浮舟はこれを見ず知らずの人として背を向けるのであった。 現世における諸縁を断とうと努め、誦経 ずきょう と手習いに明け暮れる浮舟は、薫の手の届かぬ境地を生きる人となっていた。 [秋山 虔] 享受・影響『更級 さらしな 日記』に語られる菅原孝標女 すがわらのたかすえのむすめ の『源氏物語』への心酔は、同時代の享受の例として知られるが、これはかならずしも特殊な例ではあるまい。 『源氏』は宮廷社会に限らず一般の貴族の家庭にも急速に流布した。 貴族社会の繁栄期は、紫式部の生存した藤原道長の時代以後衰退の一途をたどったが、そうなれば過去の文化の盛栄を憧憬 しょうけい する人々の心に『源氏』はますます権威をもって君臨することになる。 院政期に、その一部が現存する『源氏物語絵巻』のような絵画芸術が宮廷の事業として制作されたことも、『源氏』が名作として評価されたことを示す。 『狭衣 さごろも 物語』『浜松中納言 はままつちゅうなごん 物語』『夜の寝覚 ねざめ 』や『堤 つつみ 中納言物語』以下中世にかけてつくられた擬古物語はもとより、摂関時代の編年史の『栄花 えいが 物語』や以後の史書にも『源氏』の影響は著しい。 和歌の詠作にも『源氏』がよりどころとなり、「源氏見ざる歌よみは遺恨 ゆいこん の事なり」という『六百番歌合』の藤原俊成 しゅんぜい の発言は、以後、中世の歌壇・連歌壇の風潮を規制するものとなった。 宴曲、能楽にも『源氏』に取材する例が多く、さらに下って浄瑠璃 じょうるり や歌舞伎 かぶき の世界にも『源氏』は浸透したが、俳諧 はいかい 、川柳 せんりゅう 、雑俳 ざっぱい などへの投影ともあわせて、それらは『源氏』が民間伝承と化した状態を物語るといえよう。 中世から近世へかけての新旧文化の交代期を反映して『源氏物語』の受容は大衆化し、『湖月抄 こげつしょう 』ほかの啓蒙 けいもう 的な注釈や本文が数多く版行され、梗概 こうがい 書や俗語解・俗訳書も少なくはなく、『源氏』のもじりとして特筆される井原西鶴 さいかく の『好色一代男』や柳亭種彦 りゅうていたねひこ の『偐紫田舎源氏 にせむらさきいなかげんじ 』もそうした基盤のうえにつくられたのであった。 近代に入っても、与謝野晶子 よさのあきこ 、窪田空穂 くぼたうつぼ 、谷崎潤一郎 じゅんいちろう 、円地文子 えんちふみこ などによって現代語訳が行われ、舟橋聖一や北条秀司 ひでじ によって演劇化されるほか、多くの梗概書、翻案などが読者を獲得しているのは、『源氏物語』に日本人の美意識や感受性の原型がみいだされるからでもあろう。 なお、『源氏』は早くA・ウェーリーの優れた英語訳(1923~1933)によって海外にその価値が認められ、この英訳に基づくさまざまの外国語訳が生まれた。 第二次世界大戦後、欧米における日本古文化の研究の進みとともに『源氏』への関心も深まり、ユネスコの1965年度(昭和40)の世界偉人暦に紫式部が最初の日本人として登載されもした。 E・G・サイデンステッカーの英語訳(1978)、R・シフェールの仏語訳(1978)や林文月の中国語訳(1974~1978)、豊子 の同じく中国語訳(1980~1982)がそれぞれ全訳として話題をよんだ。 I・モリスの『光源氏の世界』(1964、日本語版1969)のごとき精緻 せいち な研究も生まれた。 [秋山 虔] 諸本と研究『源氏物語』は、その成立期以来多くの人々によって書写されたが、平安時代の写本は伝存しない。 現存する本文は鎌倉時代以降に書写されたもので、藤原定家の校訂した青表紙本 あおびょうしぼん と河内守 かわちのかみ 源光行 みつゆき ・親行 ちかゆき 父子の校訂した河内本 かわちぼん の両系統であり、そのいずれにも属さないのを別本と称する。 青表紙本は紫式部の原本に近いと目されているが、河内本・別本に古形を伝える場合も少なくない。 注釈は平安末期の藤原伊行 これゆき 『源氏釈』に始まり、これを受けて藤原定家『奥入 おくいり 』がつくられた。 ついで『原中最秘抄 げんちゅうさいひしょう 』『紫明抄 しめいしょう 』『異本紫明抄』など河内家による注釈が鎌倉期につくられたが、南北朝期の四辻善成 よつつじよしなり 『河海抄 かかいしょう 』によって、これまでの研究が統合された。 『河海抄』に至るまでは故事、出典、引き歌等の考証研究が主であったが、室町期になると、文意・文脈に即した鑑賞的方向を打ち出した一条兼良 いちじょうかねら 『花鳥余情 かちょうよせい 』が書かれ、ついで肖柏 しょうはく ・三条西実隆 さねたか 『弄花抄 ろうかしょう 』、藤原正存『一葉抄 いちようしょう 』などがあるが、実隆・公枝 きんえだ ・実枝 さねき ら三条西家3代にわたる源氏学が『細流抄 さいりゅうしょう 』『明星抄 みょうじょうしょう 』に結実した。 実隆の外孫九条稙通 たねみち 『孟津抄 もうしんしょう 』も大著であるが、実枝の甥 おい 中院通勝 なかのいんみちかつ 『岷江入楚 みんごうにっそ 』は三条西家の研究を中心とする最大の諸注集成として注目すべきものである。 江戸期に入ると、印刷技術の発達によって、従来は公家 くげ ・僧侶 そうりょ を担い手とした文芸・学問が庶民層に解放され、古典籍が続々出版されるようになり、版行された『源氏物語』の注釈には、切臨 せつりん 『源義弁引抄 げんぎべんいんしょう 』、能登永閑 のとえいかん 『万水一露 ばんすいいちろ 』、釈子真 しゃくししん 『首書 しゅしょ 源氏物語』、北村季吟 きぎん 『湖月抄』などが相次いでいるが、ことに歌注・傍注に要領よく古注を取捨案配して自説を加えた『湖月抄』は、類書を圧して広く流布した。 この『湖月抄』を土台として、契沖『源註拾遺 げんちゅうしゅうい 』、賀茂真淵 かもまぶち 『源氏物語新釈』、本居宣長 もとおりのりなが 『源氏物語玉 たま の小櫛 おぐし 』、鈴木朖 あきら 『玉の小櫛補遺』、石川雅望 まさもち 『源註余滴 げんちゅうよてき 』、萩原 はぎわら 広道『源氏物語評釈』等の、国学者たちによる優れた注釈が続出した。 明治期以後、現在まで『源氏物語』の注釈、研究書、研究論文の数量は膨大である。 それらは重松信弘『増補新攷源氏物語研究史』(1980・風間書店)、阿部秋生・岡一男・山岸徳平編『源氏物語 上下』(『増補国語国文学研究史大成3・4』1977・三省堂)により、研究史の初期以来の展開とともに知ることができる。 最近は年間150編から200編に及ぶ関係論著が発表されており、その総目録は紫式部学会編の年刊研究誌『むらさき』に収められている。 現在刊行されている全注釈(参考文献欄参照)には、すべて青表紙本の再建を目標として校訂された本文が用いられている。 五四巻。 紫式部作。 長保三年( 一〇〇一)以後の起筆とされるが成立年代は未詳。 桐壺・帚木 ははきぎ ・空蝉 うつせみ ・夕顔・若紫・末摘花 すえつむはな ・紅葉賀 もみじのが ・花宴・葵・賢木 さかき ・花散里 はなちるさと ・須磨・明石・澪標 みおつくし ・蓬生 よもぎう ・関屋・絵合・松風・薄雲・朝顔・乙女・玉鬘 たまかずら ・初音・胡蝶・蛍・常夏・篝火 かがりび ・野分 のわき ・行幸 みゆき ・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉・若菜上・若菜下・柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法 みのり ・幻・(雲隠)・匂宮 におうのみや ・紅梅・竹河・橋姫・椎本 しいがもと ・総角 あげまき ・早蕨 さわらび ・宿木・東屋・浮舟・蜻蛉 かげろう ・手習・夢浮橋の五四帖(雲隠は、巻名だけ)から成る。 主人公光源氏は藤壺宮との過ちにおののきながら、愛の遍歴ののち、準太上天皇となる(第一部。 藤裏葉巻まで)。 しかし託された女三の宮と柏木との密通事件によって過去の罪の報いを知り、苦悩のうちに生涯を終える(第二部。 幻巻まで)。 つなぎの三帖を置いて、いわゆる宇治十帖は、柏木と女三の宮との罪の子薫 かおる を主人公に、競争者匂宮と宇治の姫君たちを配し、暗い愛の世界を描く(第三部)。 仏教的宿世観を基底にし、平安貴族の理想像と光明が、当時の貴族社会の矛盾と行きづまりを反映して、次第に苦悶と憂愁に満ちたものになっていく過程が描かれ、「もののあわれ」の世界を展開する。 登場人物の個性、心の陰影など写実的な描写にすぐれ、あらゆる物語的要素を含んで、日本古典の最高峰とされる。 注釈書の数も多く、擬古物語はじめ、謡曲、御伽草子、俳諧、連歌など後世に多大な影響を与えた。 出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について の解説 【更級日記】より …作者は上総介であった父孝標とともに東国に過ごし,1020年 寛仁4 ,任期満ちた父とともに帰京の途につくが,その年から起筆し,59年 康平2 ころまでのことを記しているので,その年以後まもなく成立したと考えられる。 〈あづま路の道のはてよりもなほ奥つかたに生ひ出でたる人,いかばかりかはあやしかりけむを……〉と,東国に生い立った自分を第三人称で書き起こし,そのころの作者が姉や継母によって語られるさまざまの物語,ことに《源氏物語》によって空想をかきたてられ,早く上京して多くの物語を見たいという熱い願いを抱きつづけたことをまず述べているが,やがて念願かなって13歳の年に上京の日が到来する。 以下,京への途次の風物を印象深く叙し,〈まののてう〉の古跡,竹芝寺伝説,足柄の遊女,富士川の除目(じもく)にまつわる奇譚など土俗的な伝承や見聞に筆をさきつつ,入京まで3ヵ月を要した旅の記がつづられる。

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源氏物語の作者がなぜお札になったのですか? 内容を読む限りあまりに

源氏物語 作者

宿木三 琵琶を弾く匂宮と中の君。 場所は匂宮の二条院の対の屋。 匂宮は六の君(夕霧の娘)を北の方とし、中の君のいる二条院には滅多に顔を見せない。 身重の中の君の想いは複雑である。 そうした中の君の相談相手になってくれるのは薫だった。 匂宮は琵琶を弾いて中の君をなぐさめようとするが、中の君には薫の移り香がし、匂宮は2人の仲を怪しむ。 斜めの構図が男女の不安定な心を象徴する。 庭の尾花が、季節が晩秋であることを告げる。 源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)は、を題材にしたである。 源氏物語を題材とする絵巻物は複数存在するが、本項では通称「 隆能源氏」(たかよしげんじ)と呼ばれている末期の作品で、に指定されている作品について述べる。 概要 [ ] かつて「隆能源氏」と呼ばれてきた『源氏物語絵巻』は、源氏物語を題材にして制作された絵巻としては現存最古のもので、平安時代末期の制作であるとされている。 『』、『』、『』(いずれも国宝)とともに 日本四大絵巻と称される。 なお、日本四大絵巻には鳥獣人物戯画の代わりに『』をあげる見解も存在する。 本来は源氏物語の54帖全体について作成されたと考えられている。 各帖より1ないし3場面を選んで絵画化し、その絵に対応する物語本文を書写した「詞書」を各図の前に添え、「詞書」と「絵」を交互に繰り返す形式である。 全部で10巻程度の絵巻であったと推定される。 現存状況 [ ] 本絵巻で現存するのは絵巻全体の一部分のみである。 のに絵15面・詞28面(、、(詞のみ)、、、、、、、の各帖)、のに絵4面・詞9面(、、の各帖)が所蔵され、それぞれ国宝に指定されている。 徳川美術館に所蔵されている3巻強はもとにあったものである。 一方、五島美術館にある1巻弱はもと阿波にあったものが明治20年頃に他の美術品などと一括して美術商柏木探古に売却され 、その後実業家で茶人の(鈍翁)の所蔵となり、さらに戦後になっての創業者・の所有となり、東急グループの総帥・が同人の死の直前に買い取ったものである。 徳川本・五島本とも(7年)、保存上の配慮からによって詞書と絵を切り離し、巻物の状態から桐箱製の額装に改めたものの、徳川本に関しては、2018年(30年)、台紙が反ったり、紙に亀裂が出たりしたという、保存上の理由から、再び巻子本に表装し直された。 このほか、にの巻の絵の断簡があり、書芸文化院の春敬記念書道文庫に飯島春敬が収集した、、、の詞書の断簡が、その他数箇所に、、、、の詞書の断簡が所蔵されている。 但し個人蔵とされているものの中には現在所在不明になっているものもあるとされている。 2015年11月13日、徳川美術館により源氏物語絵巻の修理過程で計3面から構図の異なる下絵が見つかったと発表された。 伝来 [ ] 徳川本・五島本が、それぞれ尾張徳川家・蜂須賀家に入る以前の伝来は、による駿河御譲本説もあった。 ところが、学芸部長のは、徳川・五島本『源氏物語絵巻』の来歴について、幕末に鷹司家から尾張徳川家、蜂須賀家に子女が嫁いでいることから、この説を否定し、鷹司家子女の嫁入り本として絵巻が贈られた可能性を、以下のように述べている 明治維新に際して蜂須賀家の手を離れた五島本は、その後、古川躬行、蜷川式胤、柏木貨一朗と所蔵者を転々とし、明治末年には益田孝(鈍翁一八四八~一九三八)が入手、徳川本三巻の額面仕立てへの改装に準じて田中親美に額面に改めさせている。 戦後に至り益田家を離れた五島本は、瀬津伊之助を経て高梨仁三郎、さらに五島慶太(一八八二~一九五九)の有となり、昭和三十五年(一九六〇)五島美術館の設立に伴ってこれに寄付され、今日に至っている。 …これらの絵巻が、大坂夏の陣で豊臣家滅亡に際して徳川家康が蜂須賀とともにその倉庫に忍び入り、略奪した財宝類の中に含まれていたとする俗説が戦前に生み出された。 …鷹司家にとって大切な絵巻(春日権現験絵)の一部や模本が何故に尾張徳川家や阿波蜂須賀家にもたらされたのであろうか。 天保七年(一八三六)鷹司政煕の娘定子が近衛基前の養女となり尾張徳川家十一代斉温に入輿、一方鷹司政煕の娘幷子が蜂須賀家十二代の斉昌夫人に、鷹司政通の娘標子が蜂須賀家十三代斉裕子夫人となるなど、それぞれに深い婚姻関係にあり、その中で家の宝とも言うべき重宝が贈答されたと考えられる。 国宝『源氏物語絵巻』もまた、『春日権現験絵』と同様に五摂家の一つ鷹司家からそれぞれの大名家にもたらされた可能性を視野に含め考えてもよいように思われる。 (四辻2010、p. 207) 詞書本文 [ ] 横笛 詞書 絵巻の詞書(ことばがき)として絵に対応する源氏物語の本文が抄出して書かれている。 この本文の内容はやといった現在一般的に知られている源氏物語の本文と大筋で同じながら部分的にかなり異なる本文も含んでおり、中にはなどの別本とされる本文に近いものを多く含んでいるとの指摘もある。 これがもともと異なる本文を持つ写本を元にしたために異なるのか、それとも絵巻物の詞書という性質上もともとの本文を要約するなどの改変を加えたためなのかが不明であり、そのまま『源氏物語』の伝本とみなすことはできない。 しかし、現在残っている源氏物語の本文として最も古いもので、平安朝の本文を今日に伝えてくれる現存唯一の重要なものである。 また絵詞本文の伝来については、この絵詞本文作成の際に参照した書本(かきほん)がの系統であり、『』所引のに一致するところがあることから、これらの本文系譜が一本に遡及されるとする説が唱えられている。 近時、了悟「」に見える摂関家伝来の源氏物語本文の記事と、「柏木」巻の詞書の本文特性がの、に近接するという調査結果とを勘案して、この詞書本文を「摂関家伝領本」群本文と措定し、この本文系譜の祖本に「」に見える紫式部の「源氏の物語」草稿本を想定する論も提出された。 名称 [ ] 本項で解説する「源氏物語絵巻」は絵師をと伝えることから一般に「隆能源氏」と呼ばれていた。 源氏物語を題材にした絵巻物が数多くある中で国宝に指定されているものはこれだけであることから「国宝源氏物語絵巻」と呼ばれることもある。 この呼称は所蔵先の五島美術館や徳川美術館のオフィシャルサイトやパンフレットなどにおいてしばしば使用されている。 また所蔵先の名前を冠する形で「徳川本源氏物語絵巻」「五島本源氏物語絵巻」等と呼ばれることもある。 源氏物語を題材にした絵巻物は数多く存在し、「源氏物語絵巻」という名称で呼ばれる絵巻物もいくつか存在する。 国宝本以外の著名な「源氏物語絵巻」としては狩野尚信によるもの 、によるもの 、狩野栄川によるもの 等がある。 しかしながら現存している源氏物語を題材にした絵巻物の中では、「隆能源氏」が最も古く、最も著名であることから、単に「源氏物語絵巻」と呼ぶ場合には「隆能源氏」を指すことが多い。 画風 [ ] 鈴虫 源氏の君は冷泉院から月見の宴に招かれる。 柱を背に座るのが源氏、これに対するのが冷泉院。 源氏の弟・冷泉院は、実は源氏と藤壺との密通によって生まれた不義の子であった。 画面右の笛を吹く若い貴公子は源氏の子・夕霧とみられ、源氏は実の子と不義の子に挟まれて座している。 かつてこの「源氏物語絵巻」は平安時代末期に名高い絵師として活躍したが1人でこれを描き上げたと考えられていたために一般的に「隆能源氏」といった呼ばれかたをされていた。 しかしながらこの絵巻を藤原隆能の作であるとすることについては特に確証はなく、の鑑定家住吉広行((宝暦5年)-(文化8年))が『倭錦』において言い始めたことであり 、「隆能源氏」なる呼び方が広まったのは以後のことである とされている。 近年の研究の進展に伴って、現存する部分だけでも、顔を描くときの筆致・画風の違いなどから• A類 柏木、横笛、鈴虫、夕霧、御法の各帖• B類 蓬生、関屋の各帖• C類 若菜、早蕨、宿木、東屋の各帖• D類 竹河、橋姫の各帖 の4つのグループに、また詞書の書風は• 1類 柏木、横笛、鈴虫、夕霧、御法の各帖• 2類 蓬生、関屋、絵合、松風の各帖• 3類 若菜、末摘花、早蕨、宿木、東屋の各帖• 4類 竹河、橋姫の各帖• 5類 薄雲、乙女、蛍、常夏の各帖 の5つのグループに分かれ、これらはそれぞれ別の制作グループによるものと考えられるようになった。 従って、現在では(古い時代の文献を引用する場合や、「かつて隆能源氏と呼ばれていた」といった表現をされる場合 を除いて)「隆能源氏」と呼ばれることは基本的に無い。 ただし、藤原隆能が本絵巻物を製作したグループのどれかの中にいた可能性はある。 ないしは高いと考えられている。 昭和復元模写 [ ] 源氏物語絵巻 昭和復元模写 とは、によりに保存されている原本を複製した物。 最新の科学技術を使って原本を精確に複写した平成復元模写と違い、絵に櫻井清香自身の個性が反映されているため、原本とはまた違った絵画作品となっているとされる。 ギャラリー [ ]• 佐野みどり「じっくり見たい『源氏物語絵巻』」p. 世界の「ふしぎ雑学」研究会「日本の四大絵巻」『図解 日本の「三大」なんでも事典』(三笠書房 王様文庫、(19年))。 86-87• 山岸徳平「源氏物語の諸本」山岸徳平・岡一男監修『源氏物語講座 第8巻』有精堂出版、(昭和47年)、pp.. 1-68。 中日新聞、2018年11月3日web版、• 「『源氏物語絵巻』現存一覧表」中野幸一編『常用 源氏物語要覧』武蔵野書院、1997年、pp.. 160-162。 読売新聞 2015年11月14日 39面掲載。 徳川義親「国宝『源氏物語絵巻』を切る」『最後の殿様-徳川義親自伝』講談社、(昭和48年)• 四辻秀紀「国宝源氏物語絵巻について」『国宝源氏物語絵巻』五島美術館、2010年 pp.. 202-212。 源氏物語別本集成刊行会「はじめに」『 第1巻』おうふう、(平成元年)3月• 木谷真理子「源氏物語の諸本 絵巻について」『国文学解釈と鑑賞 別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 29 花散里』(至文堂、(平成15年)7月8日) pp.. 242-250。 中村義雄「源氏物語絵巻詞書本文の基礎的考察」今西祐一郎・監修、上原作和・陣野英則編集『テーマで読む源氏物語論2 本文史学の展開 言葉をめぐる精査』勉誠出版、(平成20年)6月12日、 pp.. 65-114 、初出「源氏物語絵巻の詞書の性格」『日本絵巻物全集〈第1巻〉源氏物語絵巻』角川書店、(昭和33年) ASIN: B000JB3A5W• 上原作和「「廿巻本『源氏物語絵巻』」詞書の本文史-〈摂関家伝領本〉群と別本三分類案鼎立のために」東京大学国語国文学会編『国語と国文学』第86巻第5号(通号第1026号;特集・王朝物語の研究)、ぎょうせい、(平成21年)5月1日、pp.. 「源氏物語絵巻(狩野尚信)」伊井春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、(13年)、pp. 228-229。 「源氏物語絵巻(久隅守景)」伊井春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、(13年)、p. 229。 「源氏物語絵巻(狩野栄川画)」伊井春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、(13年)、pp. 230-232。 白畑よし編『日本の美術 49 物語絵巻』至文堂、(45年)、p. 秋山光和編『日本の美術 119 源氏絵』至文堂、(51年)、p. 123-148。 現存する国宝絵巻の中で、大観的な風景の中に人物を描くのはこの図のみである。 当時の結婚の形式では、男性が女性のもとに三晩続けて通った後、露顕(ところあらわし、「所顕」とも)という儀式を経て、初めて正式の夫婦と認められた。 関連項目 [ ]• 参考文献 [ ]• だれが源氏物語絵巻を描いたのか 皆本二三江((16年))• 源氏物語絵巻を読む-物語絵の視界 久下裕利(笠間書院、(8年))• 源氏物語絵巻とその周辺 久下裕利((13年)、)• 図説源氏物語 (ふくろうの本) 石井正己(、(16年))• じっくり見たい『源氏物語絵巻』 佐野みどり(、(12年))• 豪華〈源氏絵〉の世界源氏物語 秋山虔・田口栄一(、(11年)) 小説 [ ]• 『愛と野望 源氏物語絵巻を描いた女たち』 長谷川美智子(、(24年)2月) 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 稲本万里子、恵泉女学園大学紀要29号、2017-02.

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沖縄以外では見かけなくなった2000円札ですが、お札の裏には源氏物語の作者である紫式部の画があります。 気になり源氏物語を読んだのですがはっきり言って、昼ドラの原点のような感じで、お札にして全世界の人にアピールするようなものではありません。 まぁ、ドロドロの昼ドラなども好きなので個人的にはありだと思いますが、国家の代表的な印刷物に使うのはどうかと思っています。 もっとひっそりと楽しむものだと思うのです。 まぁ今の時代世界に向けてコンテンツとして発信する場合もあるようですが、私はとても違和感を感じています。 なぜ、こんな問題作を作った作者がお札の裏にいるのでしょうか? また、これについて誰も文句を言っていないのでしょうか? 全部読み終われているなら是非、その魅力などについて語ってください。 とてもではありませんが、読んでいて吐き気がしましたので、あの調子のストーリーを全て読み切る自信がなく一時停止状態です。 お札について、色々な国を旅すると、お札には意味のある絵、その国の力の入れている事、その国で誇れることなどが描かれており見ていてとても楽しいですよ。 例えばマレーシアであれば飛行機などの絵が描かれており経済の発展に力を入れていることが分かりますし、タイならプミポン国王、NZならキウイやラザフォード、旧イギリスな国は必ずエリザベス女王などお札や貨幣に芸術的なレベルで描かれており気になりませんか?最近だと、新千円札の野口英世については福島へ行ったおりにお札に載っているほど有名と言うことで生家へも行きました。 個人的にはお札が大好きですし、日本に来る人全員が触るもので日本のアピールにこれだけ確かな印刷物は他に存在しないと思っています。 偽札防止ならいっそのことICタグを入れたり電子化すべきだと思います。 先進国でこれだけお金が幅をきかせている国は日本くらいでしょうしね。 >戦前や夜這いや乱婚が当たり前であればまだ分かります。 しかし、現代先進国の価値観においては許されないと思うわけです。 このあたりの気持ちはわからんでもないですが、他国においても昔に書かれた文学はそんなんばっかですよ。 神話にしろ、先に挙げたシェイクスピアにしろ、あとはデカメロンとか千夜一夜物語(アラビアンナイト)とか。 現代の感覚だと、エロティックな描写がない古典の方が少ないと言ってもいいくらいだと思います。 >内容があまりに酷くお札には向かない人のように感じているのです。 文学史を見た場合に歴史的な偉業ということですね。 また、現代日本の様々な文化的創造物(文学、漫画、ドラマ含む)への影響は絶大ですね。 しかし、内容が卑猥というか、倫理的にどうかと思うストーリーまできわめて幅広くどうかと思うわけです。 戦前や夜這いや乱婚が当たり前であればまだ分かります。 しかし、現代先進国の価値観においては許されないと思うわけです。 そのくらい酷い内容ですが、多くの人がお札にすることを認めているのか、それとも単純に知らないだけなのか・・・かなり疑問です。

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