王子 映画館。 映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』公式サイト

1953年の映画館(関東地方)

王子 映画館

ウソからはじまる人生最初のホンキの恋。 二階堂ふみ 山﨑賢人• 鈴木伸之 門脇麦 横浜流星 池田エライザ 玉城ティナ 吉沢亮 菜々緒• 原作:八田鮎子『オオカミ少女と黒王子』(集英社『別冊マーガレット』連載)• 監督:廣木隆一 脚本:まなべゆきこ 音楽:世武裕子• 主題歌:back number「僕の名前を」(ユニバーサル シグマ)• 製作:福田太一 中山良夫 井上肇 渡辺直樹 薮下維也 荒波修 髙橋誠 本田晋一郎 ゼネラルプロデューサー:奥田誠治 エグゼクティブプロデューサー:小岩井宏悦 門屋大輔 プロデューサー:松橋真三 北島直明 アソシエイトプロデューサー:平野宏治 音楽プロデューサー:安井輝 ラインプロデューサー:榊田茂樹• 撮影:花村也寸志 照明:北岡孝文 録音:深田晃 美術:丸尾知行 松本知恵 編集:菊池純一 衣装:坂井央里英 ヘアメイク:板垣美和 助監督:中里洋一 制作担当:吉田信一郎 宮下直也 制作プロダクション:プラスディー 配給:ワーナー・ブラザース映画• 配給:ワーナー・ブラザース映画• 製作:ワーナー・ブラザース映画 日本テレビ放送網 パルコ 集英社 読売テレビ放送 GYAO KDDI/STV・MMT・SDT・CTV・HTV・FBS• C 八田鮎子/集英社 C 2016 映画「オオカミ少女と黒王子」製作委員会.

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上映館 テニスの王子様BEST GAMES!!

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「昔この街には6館の映画館があって、東宝、東映、松竹の専門館から2本立興行の劇場まで賑わいを見せていたのですが…今ではウチ2館だけになってしまいました。 」JR京浜東北線と営団地下鉄南北線、そして今では数少ない路面電車の荒川線が交差する王子駅に20年間、地元住民に親しまれている映画館がある。 駅から歩いて3分ほど。 商店街や飲食店が建ち並ぶ場所に在る『王子シネマ/王子100人劇場』。 冒頭、昔の王子駅周辺について語ってくれた支配人の伊藤裕淳氏は、こう続ける「駅前は新しいビルが建ったりしていますけど、街の内容自体はあまり変わっていないんです。 大型商業施設があるわけでもないし、新しく出来たモノと言えばマンションばかり…王子という駅は住宅街なんです。 」古くから住んでいる住人と新しく越して来た住人が暮らす街…だからこそ地元にある身近な映画館というのは住民にとってオアシスのような存在なのかもしれない。 「お客様も昔からの常連さんも多いですよ。 小さなお子さんを連れたお母さんが実は小さい頃、同じようにお母さんに連れて来られて映画を観ていたという3代に渡ってウチの劇場を利用してくれているんです。 だからこそ私たちスタッフもそれを意識して地元の方々に愛され続ける映画館になれるよう日々心掛けていますよ」そう、これこそが今では少なくなって来た自分の街に在る映画館の良さなのだ。 ひと昔前までは小さな街でも必ず1〜2館は映画館があった。 それが年々、減少して大きなターミナル駅以外にはシネコンしか見る事が出来なくなった。 だからこそお客様の顔を覚えてくれている地元の映画館はひと味違った温かみがあるのだ。 現在コチラの劇場は東映と東宝の封切り館だが、たまにイレギュラーで洋画の上映も行っている。 それでも夏休みや春休みシーズンなどは2館共に子供向けのアニメを上映し連日子供たちの黄色い歓声で場内は賑わっている。 今では使われなくなった1階のチケット窓口横にある階段もしくはエレベーターで3階に上がると、そこがもう劇場の入口。 受付でチケットを購入するとチケットではなくレシートを渡される。 「実はこれが一番無駄がなく実用的なんです。 」と伊藤氏が語る通りレシートには日付けも時間も明記されているのがからこれ以上確かなものはない。 向かって左が『王子100人劇場』右が『王子シネマ』でロビーを挟んむように存在している。 ロビーは関連商品やスナックなどが所狭しと置かれておりどこか懐かしい雰囲気を持っている。 いつもは見慣れたスナックも何故か映画館で買いたくなる、そんな気分にさせてくれるもの昔と変わらない。 ホールを囲むようにしてゆっくりとくつろげる喫煙コーナーがあり、『王子100人劇場』は赤を基調とした配色、『王子シネマ』は青を基調とした配色を施しているのが特徴的だ。 ロビーと同様、赤と青に色分けられたシートとスクリーンカーテン。 どちらも108席と小さな映画館ながらもプライベートな感覚で映画を楽しむことができる劇場だ。 平日の朝からは年輩の夫婦や近所のおじいさんがブラリと訪れては映画に興じる光景が見られる。 適度な広さが落ち着いた雰囲気を醸し出し、上映が始まるとガサガサとお菓子の音が聞こえる…それが決して耳障りではなく映画館の持つエンターテインメント性をよく表しているのだ。 学校が終わる夕方になると学生やサラリーマン、OLが帰路の途中で訪れる。 普段着で来る事が出来る、近所の映画館…映画を観ながらストレスを発散して、だからこそ劇場を出る人々の顔は誰もが実に満足そうだ。 これから映画はココで観ます。 メインの客層となるのは平日の午前中は前述の通りシニア層だが、圧倒的に多いのは20〜30代の女性だという。 やはり安心して映画に集中できるという環境が受けているのだろう。 昔からの常連が多いからこそ、少しでも気持ち良く多くの映画を観てもらおうと始めたサービスが毎日最終回をペア(恋人・友達等)で鑑賞されるお客様は二人で2400円、親子ペアで2000円とお得(ペア割引と親子ペア割引を作品ごとにどちらか実施)。 また毎週水曜日はサービスデーとして男女共に1000円というからどんどん活用して欲しい。 年会費1500円で、1年間有効の会員カードを発行。 入場時に提示すれば、いつでも900円(毎月1日・15日は700円)で観る事が出来る。 しかも入会時に無料招待券が1枚進呈される…正直言って招待券の時点で年会費の元を取っているのだから驚いてしまう。 現在会員数も1000人を越えている事からも、こうしたサービスはお客様に求められていたのだろう。 本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。 (C)Minatomachi Cinema Street.

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東京都の映画館

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築地館 Tsukiji-kwan 市場情報 消滅 略称 河合築地、王子新興 本社所在地 豊島町2丁目1番地 設立 事業内容 映画の 代表者 代表 宮川利一・平石喜伸 関係する人物 特記事項: 略歴 1920年代 開館 1940年前後 王子新興映画劇場と改称 1945年2月19日 閉館 築地館(つきじかん)は、かつて存在した日本のである。 正確な時期は不明であるが1920年(大正9年)代にはすでに大字豊島(現在の)に開館しており、やの上映館であった。 に経営が移って以降は、 河合築地館(かわいつきじかん)とも呼ばれた。 1940年(昭和15年)前後には 王子新興映画劇場(おうじしんこうえいがげきじょう)と改称している。 末期、1945年(昭和20年)2月19日のによって豊島地区は壊滅、閉館を余儀なくされた。 戦前に一時、のの実家が経営にかかわっていたことでも知られる。 沿革 [ ]• 1920年代 - 開館• 1940年前後 - 王子新興映画劇場と改称• 1945年2月19日 - によって壊滅・閉館 データ [ ]• 所在地 : 豊島町2丁目1番地• 開館時の東京府大字豊島137番地• 現在時の1丁目38番8号、「セントラル王子」の位置• 経営 :• 石井仲次郎 (1920年代 )• (1930年代 )• 宮川利一・平石喜伸 (1940年代 )• 支配人 :• 石井仲次郎 (1920年代 )• 鶴田弥兵衛 (1930年代 )• 宮川利一 (1940年代 )• 構造 :• 同館は10番館であるためポスターに館名はない。 正確な時期は不明であるが1920年(大正9年)代にはすでに大字豊島137番地(現在の1丁目38番8号)に開館しており、やの上映館であった。 同地は、現在ではのカーブやに囲まれる地域であるが、開館当時は「築地通り」(大字豊島字築地)と呼ばれるいわゆるに隣接しており、「築地通り」と交差する同館前の通りは「築地館通り」と呼ばれた。 1927年(昭和2年)に発行された『日本映画事業総覧 昭和二年版』によれば、同館は石井仲次郎の個人経営、観客定員数は444名と記載されているが、同所には同年当時の同館の興行系統については記されていない。 当時の王子町には、同館のほか、・帝国キネマ演芸・の上映館であった(王子町字330番地、経営・)、松竹キネマ・の上映館であったレコード館(王子町字王子柳町438番地、戦後の、経営・鈴木正)の合計3館が存在した。 1929年(昭和4年)には、同館は社長の河合徳三郎に経営が変わり、興行系統も河合系になり、河合の直営館となった。 同年の河合映画は、『熱砂の舞』(監督、原作・脚本、9月27日公開)、『血の曲芸団』(監督、10月11日公開)、『乱刃』(監督、10月28日公開)、『直侍と河内山』(監督、原作・脚本、11月1日公開)、『』(監督村越章二郎、原作、脚本八尋不二、12月31日公開)等を製作・配給している。 1932年(昭和7年)10月1日、同館が位置した北豊島郡が東京市に編入され、王子町はになった。 1933年(昭和8年)6月、河合映画はに改組している。 映画監督の渡辺護は実家が映画館であったとされるが、『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(構成、2011年製作)における渡辺の回想によれば、父の渡辺恭三郎が同館の経営に関わっていたのは、1939年(昭和14年)前後から1942年(昭和17年)までであり、大都映画の上映館であったという。 これは渡辺がに通っていた時期にあたる。 1940年(昭和15年)前後の時期に、 王子新興映画劇場と改称している。 渡辺護よれば、西ヶ原町(現在の北区)の映画館と上映作品を掛け持ちしており、上映用のプリントを運ばなければならなかった旨のことを回想しているが、この掛け持ちの映画館は (かつての西ケ原萬歳館 あるいは西ケ原キネマ 、経営河合徳三郎)である。 1942年(昭和17年)には第二次世界大戦による戦時統制が敷かれ、同年1月27日には、大都映画は、の製作部門(撮影所)と合併し、大日本映画製作株式会社()を形成した。 それとともに、日本におけるすべての映画が同年2月1日に設立されたの配給になり、すべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、同年発行の『映画年鑑 昭和十七年版』によれば、同館の系統は紅系10番館であった。 当時の同館の経営者は宮川利一・平石喜伸の連名であり、支配人は宮川利一が兼任しており、観客定員数は458名であった。 宮川利一は、大都映画設立時に監査役を務めた人物である。 同年の紅系では、『』(監督、製作、4月23日公開)、『』(監督、製作、5月14日公開)、『』(監督、製作、5月21日公開)、『』(監督、原作、製作東宝映画、6月11日公開)、『』(監督、原作吉川英治、製作東宝映画、6月25日公開)、『 ()』(監督 ()、製作、1939年製作、7月23日公開)、『』(監督、製作東宝映画、9月3日公開)、『』(監督、製作東宝映画、9月24日公開)、『』(監督、製作松竹大船撮影所、11月12日公開)、『』(監督、製作東宝映画、12月3日公開)、『』(監督・、原作、製作大映京都撮影所、12月27日公開)といった、同館の大都映画時代には考えられない規模の大作が公開された。 この時期の王子区内には、同館および前述の王子レコード館、王子萬歳館のほか、十條館(1丁目5番地、戦後の、経営・峰岸秀樹)、昭和キネマ(4丁目6番地、経営・峰岸秀樹)、(2丁目6番地4号、経営・山本音一)、濤晃映画劇場(豊島町1丁目6番地3号、戦後の、経営・伊藤福次)の合計7館が存在した。 1945年(昭和20年)2月19日の空襲によって豊島地区は壊滅、同館は閉館を余儀なくされた。 戦後間もない1947年(昭和22年)に撮影された同地の航空写真では、一帯がほとんど更地である。 王子区は同年3月15日、滝野川区と合併して北区になった。 王子レコード館は王子レコード劇場、十條館は十条映画劇場、濤晃映画劇場は王子トーコー劇場として復興し、王子映画劇場も復興、旧・滝野川区の甲子館も(3丁目118番地)として復興したが、1953年(昭和28年)3月から同年4月に撮影された航空写真にも、1955年(昭和30年)に発行された『映画年鑑 1955 別冊 全国映画館総覧』にも、同館跡地あるいは近辺に後継館は建っていなかった。 その後、跡地に映画館が建つことはなく、1984年(昭和59年)2月に「セントラル王子」が竣工し 、現在(2013年6月)に至る。 脚注 [ ] []• 464. 650. 247-248. 555-556. 453. , 公式ウェブサイト、2014年4月23日閲覧。 、日本映画データベース、2014年4月23日閲覧。 [1976], p. 196. 、日本映画データベース、2014年4月23日閲覧。 、、2014年4月23日閲覧。 総覧[1955], p. 参考文献 [ ]• 『日本映画年鑑 大正十三・四年』、、、1925年発行• 『日本映画事業総覧 昭和二年版』、、1927年発行• 『日本映画事業総覧 昭和三・四年版』、国際映画通信社、1929年発行• 『日本映画事業総覧 昭和五年版』、国際映画通信社、1930年発行• 『映画年鑑 昭和十七年版』、、1942年発行• 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行• 『映画年鑑 1955 別冊 全国映画館総覧』、、1955年発行• 『』、、、、1976年1月10日 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 昭和毎日()• - 1947年・1963年時点の航空写真()• - 2013年6月時点の同館跡地 (・).

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