鳩ヶ谷 氷川 神社 御朱印。 鳩ケ谷氷川神社の御朱印が可愛い|猫の印が別パターンや鳩文字も。

七郷神社 / 埼玉県川口市

鳩ヶ谷 氷川 神社 御朱印

八幡太郎義家が奥州下向の折に参籠 一定期間昼夜籠って神仏に祈願する事 したとされる。 当初は小石川植物園内の御殿坂辺にあった貝塚の古墳上に鎮座していたが、中世において社地社殿は荒廃し、伝通院 文京区小石川3-14-6 を開山した了誉上人が再興、江戸七氷川の一つに数えられるようになり、江戸名所図会にも描かれる等している。 この地が小石川白山御殿造営の用地となったため、1652 承応元 年8月、旧小石川原町 現白山4丁目20番付近 に遷座し、更に1699 元禄12 年に景勝地といわれた現社地へ再遷座している。 江戸時代においては社号を氷川大明神と称し、明治に入り氷川神社と改称したが、大正時代に出雲国簸川に由来するという研究結果から、簸川神社へ改号している。 社殿は1945 昭和20 年5月の大空襲により焼失し、1958 昭和33 年再建されている。 関東大震災、空襲と焼失を繰り返した社殿は戦後の再建時、当時としては珍しい火災に強いコンクリート造を採用した。 茗荷谷駅から目の前の春日通りを横断し、筑波大キャンパスの横を北に向かう。 さらにその先、千川通りを横断すると、小石川植物園の裏門に至る。 その左手前方に参道がある。 大きめの社号標から参道を進むと、奥に一の鳥居、そして合格階段と名づけられた50段の石段に続く。 参道には1931 昭和6 年造の筋肉質な狛犬たち。 その後方にある青面金剛・庚申像は空襲の影響もあってか、かなり劣化が進んでいる。 一方で現代的意匠の神楽殿、手水舎はセンサー式。 1958 昭和33 年造の社殿は拝殿・幣殿・本殿は神明造。 境内社は手水舎脇に白宝稲荷神社と水神社、二の鳥居そばに五社神社。 五社神社の狛犬は江戸末期の1799 寛政11 年奉納。 簸川神社 御朱印。 初穂料300円。 拝殿向かって左手に社務所があり、そちらで受けられる。

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鳩ヶ谷 氷川 神社 御朱印

別当の西光院が天正元年(1573年)の創立と伝えられていることから同時期に祭られたものと思われます。 また、現在戸塚消防分署がある場所から弥生時代の遺跡が出ていることから、神社神道のおこる前からこの場所で祭祀が行われていた可能性もあります。 明治40年以前七郷神社は、氷川社でした。 明治6年の神仏分離により別当の西光院から別れて村社となり、明治40年には、下立山の神明社、一本木の諏訪社、平沼の厳島社、佐藤の稲荷社、藤兵衛新田の稲荷社、久左衛門新田の天神社の6社を合祀して七郷神社と改称しました。 神社の小高い裏山は、古墳では無いかと言う方もおられますが、定かではありません。 通常神社は、南か東向きですが、この神社は西を向いています。 西には富士山、反対側に筑波山があり、関係があるのかもしれません。 七郷神社の主祭神は、素盞嗚尊(スサノオのみこと)で、五穀豊穣、厄除け、家内安全、縁結びの神様です。 江戸化政年間の書かれた『新編武蔵風土記稿』には、「氷川熊野峰岳明神社 小名上組の鎮守なり 西光院の持 末社 天神社 荒脛社 稲荷社 諏訪社」と記載されています。 この末社のうち「荒脛社」(アラハバキ)の神様は、アイヌの神様であると言う説がありますが、詳しくは、分かってはおらず、現在の末社とは異なっています。 現在の末社(神社の左の社)に祭られているのは、三峰社、獅子社(猿田彦の神)、厳島社、疱瘡社、菅原社、稲荷社の6社です。 歴史考察 氷川信仰 「」(埼玉県さいたま市大宮区)を総本社とし、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を御祭神とする信仰。 その数200社以上と言われているが、全国的に見ると東京・埼玉といった旧武蔵国以外ではほぼ見ることができない信仰となっている。 様々な側面を持つが、開拓の神(出雲族が開拓したため出雲の神・素盞鳴尊が祀られている)として信仰を集める事が多かった。 新編武蔵風土記稿から見る当社 文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。 (戸塚村) 氷川熊野峯岳明神合社 小名上組の鎮守なり。 西光院の持。 天神社。 荒脛社。 稲荷社。 諏訪社。 戸塚村の「氷川熊野峯岳明神合社」として記されているのが当社。 当時は「氷川社」だけでなく「熊野社」「峯岳明神社」が合祀された合社だった事が分かる。 戸塚村の中でも上組という地域の鎮守であった事も記してある。 末社は、天神社、荒脛社、稲荷社、諏訪社。 荒脛社は現在は祀られていないが、当社の御由緒にはアイヌの神とも伝わっている。 西光寺 天正元年(1573)に当地に来た叡雅上人により庵として結ばれたのが始まりで、文禄二年(1593)に再び上人が当寺に来た際に「青竜山西光院伝福寺」と号した。 寛永年間(1624年-1644年)に第三世長雅上人により再興したと云う。 神仏分離まで当社の別当寺を担った。 現在は武州川口七福神の弁財天。 明治以降の歩み・6社が合祀され七郷神社へ改称 明治になり神仏分離。 当社は「氷川熊野峯岳明神合社」から「氷川社」へ改称。 明治六年(1873)、村社に列した。 明治二十二年(1889)、町村制施行によって、戸塚村・西立野村・長蔵新田・久左衛門新田・藤兵衛新田の2ヶ村3新田が合併し、戸塚村が成立。 明治三十九年(1906)に測図された古地図を見ると当時の様子が伝わる。 (より) 赤円で囲っているのが当社の鎮座地で、古地図のほうには神社の地図記号が見えないが近くに旧別当寺「西光院」があるので、同じ一角に鎮座していたと思われる。 戸塚村の文字も見る事ができ、現在も戸塚という地名で残る。 戸塚小学校の隣に鎮座 最寄駅の東川口駅からは南東へ徒歩数分の距離。 右隣には戸塚小学校、左隣には戸塚消防分署の立地。 小学校からは子どもたちの元気のよい声が境内に響く。 石段を上った先に一之鳥居。 社号碑には「村社七郷神社」の文字。 一之鳥居の両脇に一対の狛犬。 まだ新しい狛犬であるが表情がとてもユニーク。 10年近く当社の氏子総代を務めた方からの奉納。 一之鳥居を潜ると二之鳥居。 二之鳥居を潜ってすぐ左手に手水舎。 水が張られていて綺麗に整備されている。 戦後に再建された社殿・古墳の説がある裏山 二之鳥居を潜った先に社殿。 戦後に再建された社殿だが綺麗に維持。 社殿は比較的珍しい西向きの社殿となっている。 地域からの崇敬が篤い神社となっている。 社殿の裏手には小高い裏山。 緑溢れる一角であるが、一説ではここは古代の古墳ではないかとも云われている。 当社の左隣に隣接する戸塚消防分署の場所からは弥生時代の遺跡が出土しており、古代より土着の祭祀があった神聖な土地だった事も考えられている。 境内社・古い水盤・賑やかな境内 社殿の左手には境内社。 三峰社・獅子社・厳島社・疱瘡社・菅原社・稲荷社の6社が並ぶ。 手水舎の裏手に古い水盤。 回り込んでも銘が確認できなかったが、かなり古いものと見られる。 右隣には戸塚小学校があるため、子どもたちの元気な声が響き、左隣には戸塚消防分署があるため、出動時のサイレンが鳴ったりとなんとも賑やかな境内で、地域から愛されている鎮守なのが伝わる。 御朱印・川口九社詣勾玉巡りにも参加 御朱印は授与所にて。 社殿横の授与所にインターホンがあるので、鳴らすと向かいのご自宅から出てきて対応して下さり、大変有り難い(ご不在の場合もあり) 2017年11月より、川口市内の9社による御朱印巡り「川口九社詣 勾玉巡り」が開始され、当社はそのうちの一社となっている。 勾玉巡御朱印帳(初穂料:1,200円)も頒布している。 所感 戸塚鎮守として地域から崇敬を集めている当社。 創建年代は不詳ながら、おそらく戸塚村の開拓と共に創建されたものと思われる。 氷川信仰の神社として創建され、その後地域の信仰が合わさったのであろう。 明治の合祀政策で、6社が合祀され、7つの郷の鎮守が合わさったと云う意味で「七郷神社」と改称され、その後も戸塚一帯の鎮守として崇敬を集めている。 小学校が隣にあり賑やかな声が聞こえてくる境内は、地域と密接に関わった良い神社であると思うし、地域の方が通る度に手を合わせるのを見ると何だか嬉しい。 地域に愛される良い鎮守である。 神社画像 [ 一之鳥居 ] [ 社号碑 ] [ 狛犬 ] [ 二之鳥居 ] [ 拝殿 ] [ 本殿 ] [ 裏山 ] [ 授与所 ] [ 社務所 ] [ 参集殿 ] [ 案内板 ] Google Maps .

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鳩ヶ谷 氷川 神社 御朱印

御祭神:素盞嗚尊・奇稲田姫命 社格:旧村社 所在地:東京都渋谷区本町5-16-2 最寄駅:京王バス([宿32]新宿駅西口-佼成会聖堂普門館前・[宿33]新宿駅西口-永福町)弥生町三丁目停留所 東京メトロ丸ノ内線 中野新橋駅 都営地下鉄大江戸線 西新宿五丁目駅 URL: 御由緒:創建時期等は不明。 永禄年間(1558年~1569年)の後北条氏の文書にはその存在が既に記載されている。 別当寺は幡ヶ谷不動尊で知られる荘厳寺 現・渋谷区本町2-44-3 であった。 旧幡ヶ谷村の総鎮守、現在では本町・幡ヶ谷・笹塚地域の氏神として尊崇されている。 社殿は1945 昭和20 年の戦災で焼失し、1956 昭和31 年に再建された。 最寄りの交通機関は京王バスの弥生町三丁目停留所。 付近にそれなりに電車も走っているが、いずれも駅から10~15分程度の徒歩移動となる。 方南通りから細い路地が入り組む住宅街へ入っていった中に鎮座しているので、地図は必携。 南東方向に正参道、南西方向にも鳥居がある。 正参道の社号碑は、旧帝国海軍大将で明治神宮宮司も務めた有馬良橘氏による揮毫。 幡ヶ谷氷川神社の狛犬は1857 安政4 年製。 阿形は子に乳を与えている、ちょっと珍しい造形。 社殿左手は駐車スペースとなっているが、その奥に当地付近の小祠四社を合祀した末社殿がある。 社殿に向かって右から稲荷神社 宇賀魂神 ・厳島神社 市杵島姫命・田心姫命・瑞津姫命 ・榛名神社 火産霊神・埴山媛神 ・大鳥神社 大鳥連祖神 と並ぶ。 幡ヶ谷氷川神社 御朱印。 初穂料300円。 境内右手の社務所にてお願いできる。

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