鳴か ぬ なら 鳴く まで まとう ホトトギス。 「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」「鳴かぬなら鳴かせてみせよ...

【鳴くまで待とう時鳥】の意味と使い方の例文(語源由来・英語訳)

鳴か ぬ なら 鳴く まで まとう ホトトギス

スポンサーリンク 有名な「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ~」とは? 「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス」これは豊臣秀吉をうたったものです。 何よりも頭を使って出世したので、このように詠まれたのでしょう。 秀吉が信長の草履を懐で温め、自分の存在を認めさせた。 という伝説の通り、いろいろアイデアが豊富な武将だったようです。 因みに• 織田信長は「鳴かぬなら 殺してしまへ ホトトギス」• 徳川家康は「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス」 という俳句もあり、それぞれの性格や、時世をうまく表していると思います。 ホトトギスの鳴き声に関する昔話 ある姉妹が、姉が芋を焼き外側の硬いところを自分が食べ、中の方の柔らかい部分を妹にあげたところ、妹は姉が食べたところの方が美味しかったはずだ! と思い込み、そばにあった包丁で姉を殺してしまう、という話があります。 その後姉はカッコウになり「ガンコ ガンコ(硬いという方言)」と鳴きながら飛び去り、妹は自分がしたあやまちを後悔しホトトギスとなり 「包丁欠けた 包丁欠けた」と鳴いていた、というのが東北地方での昔話です。 これは神話的存在でもちろん実際にあった話とは思えませんが、東北では「包丁欠けた 包丁欠けた」と表現する方が多いようです。 他にも鳴き声の聞こえ方はたくさんあり、「テッペンカケタカ」や「特許許可局」、または「ホトトギス」と聞こえるようです。 カッコウ・ホトトギス・ジュウイチ・ツツドリなどのカッコウ科の鳥たちは鳴き声から名前が付けられたという話もあります。 ホトトギスに関する俳句 3武将を表したホトトギスの俳句が有名すぎるので、他の俳句が埋もれてしまっていますが、松尾芭蕉などもホトトギスを好んで使っていたようです。 例えば• ホトトギス うらみの滝の 裏表• ホトトギス 声横たふや 水の上 などは松尾芭蕉の作品です。 また、正岡子規もホトトギスが好きで、病で喀血してからはホトトギスと自分を重ねて考え、ホトトギスに関する句を一晩で大量に作ったという話が伝えられています。 更に、合資会社ホトトギスから発行されている「ホトトギス」という雑誌もあります。 こちらは俳句専門の雑誌なので、興味のある方はホームページを参照してみてはいかがでしょうか。

次の

鳴くまで待とうホトトギス

鳴か ぬ なら 鳴く まで まとう ホトトギス

ネット検索にて放送された番組を調査。 フジテレビ「さまぁ~ずの神ギ問」2017. 11 19時~(一部地域を除く)で「誰しもが聞いたことがある信長・秀吉・家康のホトトギスの句、誰が考えた?」というテーマで放送されていたことがわかった。 同番組公式 Twitter にて確認したが、タイトルのみで内容は書かれておらず不明。 ただし視聴者と思われる複数の人のブログ等に今までは「甲子夜話」と言われていたが「耳嚢」の方が最初であると放送されたと記されていた。 そこでまず国史大辞典で「ホトトギス」「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の各項を引いたが記載なし。 さらに川柳の辞典を調査。 573 「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三将に思ひ思ひの句に詠まれたと云う時鳥。 信長は「鳴かずんば殺してしまへホトトギス」と詠み、秀吉は「鳴かずんば鳴かせて見せうホトトギス」と詠み家康は「鳴かずんば鳴くまで待たうホトトギス」と詠んだと傳へられる。 」 出典等の記載なし。 仮名遣いの差異大きいが、現代に伝わるものと同じ表現している。 浜田義一郎編.江戸川柳辞典 1968 東京堂出版 「ほととぎす」の項 p. 426 「三将で思ひ思ひの時鳥」の鑑賞の項で「信長、秀吉、家康の三将の性格気質を、時鳥の句であらわした「鳴かぬなら殺してしまへホトトギス」「鳴かぬなら鳴かせてみせうホトトギス」「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」を題材としたもの」とあるだけで出典等の記載なし。 やはり仮名遣いに若干の差異があるが、ほぼ川柳大辞典と同じ表現となっている。 731 「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの三将に思い思いの句に詠まれた時鳥。 信長は「鳴かずんば殺してしまへホトトギス」、秀吉は「鳴かずんば鳴かせて見せうホトトギス」、家康は「鳴かずんば鳴くまで待たうホトトギス」と詠んだと伝られる。 勿論この逸話は虚説である。 」 ぼぼ大曲編「川柳大辞典」の表現を写したような酷似した表記であり、句の仮名遣い表記も変わらない。 同じく句の出典等の記載なし。 さらに原典をあたる。 耳嚢 八之巻 (日本庶民生活史料集成16 奇談・紀聞 1970 三一書房)p541-542 (底本・日本芸林叢書所収本) 連歌其心自然に顯はるゝ事 (前略)いまだ郭公を聞ずとの物語出けるに、信長、 鳴ずんば殺して仕まへ時鳥 と、ありしに秀吉、 啼かずとも啼せて聞ふ時鳥 と、有りしに、 なかぬなら啼時聞ふ時鳥 とあそばされしは神君の由。 (後略) 耳袋 八の巻 (東洋文庫208 耳袋2 1972 平凡社)p198-199 (底本・日本庶民生活史料集成16) 連歌その心自然に顕はるゝ事 (前略)いまだ郭公を聞かずとの物語いでけるに、信長、 鳴ずんば殺してしまえ時鳥 と、ありしに秀吉、 なかずともなかせて聞こう時鳥 と、有りしに、 なかぬならなく時聞こう時鳥 と遊はされしは神君の由。 (後略) 耳嚢 八之巻 (岩波文庫 耳嚢 下 1991 岩波書店)p134-135 (底本・カリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館旧三井文庫本所蔵本) 連歌其心自然に顕はるゝ事 古物語にあるや、また人の作る事や知らざれど、信長、秀吉、乍恐神君御参会之時、卯月の頃、未だ郭公を不聞との物語出けるに、信長、 鳴ずんば殺して仕まへ郭公 と、ありしに、秀吉、 鳴かずとも啼せて聞ふほとゝぎす と、有りしに、 鳴ぬなら鳴時きかふ時鳥 と遊はされしは神詠のよし。 自然と其御徳化の温純なる、また残忍・広量なる所、其自然を顕はしたるか。 (後略) 甲子夜話 三十五巻八 (東洋文庫333 甲子夜話四 1978 平凡社)p. 57-58 夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く協へりとなん。 郭公を贈り参せし人あり。 されども鳴かざりければ、 なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府 鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤 なかぬなら鳴くまで待よ郭公 大権現様 (後略) 日本庶民生活史料集成16の底本は転写本でした。 「耳嚢」自体公刊されたものではなく、著者の根岸鎮衛の自筆本は見つかっていません。 残されたものは写本、転写本でありいずれも複数存在し、写されることが原因と思われる文章表現、漢字表記の振れが発生じています。 また岩波文庫の「耳嚢」該当の項に註があり、「甲子夜話」「百草露」にも三句が載っているとしています。 「三将で思ひ思ひの時鳥」の句は誹風柳多留53篇に掲載され、これが編まれたのが1808 文化8 年で、耳嚢に書かれた頃のやや後になります。 甲子夜話の著者松浦静山が、耳嚢を読んだという記録は見つかりませんでした。 誹風柳多留の川柳が作られた世相などから推定すると、その三句は巷間にもそれなりに流布していたと思われます。 松浦静山が参照していなくても、それを別途耳にしていた可能性はあると思われます。 「耳嚢」は「古物語」の引用として、三句の作者はそれぞれ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康としていますが、そうではないことが有力の様です。 新編川柳大辞典では三将が詠んだとするのは誤りと指摘していますが、根拠の記載はありません。 ネット上では松浦静山の作としているものもありますが、それは明らかに間違いです。 参考 百草露 巻九 (日本随筆大成第3期11 1977 吉川弘文館)p. 243 (前略) 河内ノ国上ノ太子南林寺の什物後水尾院瓢箪の御自画御賛、 世の中は兎にも角にもなるひさごかるき身のこそ楽みはあれ なかぬならころしてしまへほとゝぎす 鳴ぬならなかして見せふ時鳥 なかぬなら鳴まで待ふほとゝぎす 右信長、秀吉、神君、三将の人となりを深く考へ弁ふべし。 事前調査事項 Preliminary research.

次の

“鳴かぬなら~ホトトギス”の俳句の作者は実はこんな性格の武将です

鳴か ぬ なら 鳴く まで まとう ホトトギス

よく、信長は「鳴かずんば殺してしまえホトトギス」、秀吉は「鳴かずんば鳴かしてみせようホトトギス」、家康は「鳴かずんば鳴くまでまとうホトトギス」だといわれますね。 これらは、三人が詠んだものか、あるいは後世の人が、三人の特徴を端的に表現するために作ったものなのかは知りませんが、それぞれ、鳴くということを期待しているから出てくることばです。 つまり、鳴くということに皆こだわっていると思うのですよ。 ぼくはね、何ごとでも、何かにこだわっていたら、うまくいかないと思っています。 だから、ぼくならこういう態度でありたいですね。 「鳴かずんばそれもまたよしホトトギス」。 つまり、自然の姿でいこうというわけですよ。 なかなかむずかしいことですがね。 『』(1990) 解説 信長と秀吉と家康。 3人の武将がほんとうにこれらの句を詠んだのかは定かでありませんが、それにしても現代人がそれぞれに抱くイメージを巧みに表現したものだといえるでしょう。 そして「鳴かずんばそれもまたよしホトトギス」も、松下幸之助の行き方を的確にあらわす句です。 幸之助いわく「なかなかむずかしい」とは、「こういう態度でありたい」と、日頃から強く意識し実行していたから言えることでしょう。 ホトトギスが鳴くことにこだわるのでなく、鳴くも鳴かないもよしとする。 あるがままに認める。 さらに付言すれば、こうした思考・哲学とその実践は、PHP研究によって礎が築かれ、漸次養い高められていきました。 鳴くも鳴かぬも「自然の姿」。 では自然の姿とは何かといえば、幸之助にとって宇宙の真理であり、その真理に順応して生きることで人間はより幸せになれると信じていました。 この幸之助をかつてこんな風に評した人がいます。 彼は大衆の味方であったが、大衆に雷同はしなかった。 幸之助がなにか常識的な認識を超えた原理・原則に則って、みずからの人生を歩んでいることをはっきりと認めていたその人物は、生前の幸之助と親交があった天谷直弘氏(故人・元電通総研所長)でした。 学び ホトトギスはホトトギス。 鳴いても鳴かなくてもホトトギス。

次の