ツァーリボンバ。 ツァーリ・ボンバ

世界の巨大兵器について調べてみた

ツァーリボンバ

パリ砲 第一次世界大戦末期に、ドイツ軍がパリを攻撃するために製造した巨大列車砲。 主要な交通網が鉄道だった時代、蒸気機関車を改造して武装を取り付けたものが各国で製造された。 パリ砲 パリ砲とは、その中でも極め付けに巨大な列車搭載砲である。 133口径、砲身長28mのバケモノである。 大砲の場合の口径とは弾頭を横に並べた長さのことで、使用する砲弾のサイズではない。 使用する砲弾は 210mmカノン砲で、高さ40km、射程距離は130km強といわれている。 自重は256トンにおよび、レールに乗せられ移動することが出来た。 上空40kmまで打ち上げられた砲弾は空気抵抗の影響が減少し、より遠距離を狙えると考えられた。 人類が作った人工物で初めて成層圏にまで届いたと言われる。 精度についてはさほど良くなかったようで、ピンポイントでパリを狙うというよりも、フランスに対する心理的な攻撃が目的であった。 なお「 カイザー=ヴィルヘルム砲」(独:Kaiser-Wilhelm-Geschutz)とも呼ばれるがこれはドイツ皇帝「ヴィルヘルム2世」のことである。 カール自走臼砲 第二次世界大戦でドイツで計画・製造された超大口径砲である。 臼砲(きゅうほう)とは迫撃砲と同じように、発射後は弾頭の自重により放物線を描いて飛翔する種類の大砲である。 口径は60cm、54cmの二種類があり、試作車を含め計7両が製造された。 要塞攻略用として世界でもトップクラスの砲身メーカー・が製造した。 有効射程距離は4. 3kmほどだったが、砲弾の重さからくる破壊力により要塞内の敵にまでダメージを与えることができたという。 全長で約11m、全高も約4. 3mほどだが、運用に必要な要員は21名にもなった。 パリ砲に比べると規模では劣るが、この時代の大砲としてはケタ違いの大きさであり、対ソ連戦では実戦投入されている アニメ「」ではカールの脅威が描かれている。 マウス VIII号戦車マウスは、第二次世界大戦にドイツで製作された超重量級戦車である。 マウスはドイツ語でもネズミを意味するが、この超重戦車をマウスと呼ぶのは敢えて計画を秘匿するするための欺瞞だったと言われた。 7m、全高約3. 6mというサイズは、当時のドイツ最強戦車『』が車体長約7m、全幅約3,7m、全高約3mという数字からもその大きさが分かる。 重量もキングティーガーの約70トンに対し、約190トンにもなった。 これは、装甲の厚さが影響しており、車体そのもののサイズに対して外観はさらに一回り大きく見える。 ソ連軍の重戦車に対抗すべくの命令で計画されたマウスは、当初の100トン級を大きく上回るサイズとなった。 しかもその巨体を動かすのは(現在の自動車メーカーである)のディーゼルエンジンと電気モーターによるハイブリッド駆動方式となった。 それというのも、重量から来る走行性能の悪さと複雑なシステムゆえのトラブルの多さである。 それはマウスも同様で、150両の製造計画が立てられたものの、実際に完成したのはわずかに試作の2両、しかも戦況の悪化により資源を莫大に使用するマウスの必要性はなくなってしまった。 現在は一両がロシアのに展示されている。 なお、マウスもアニメ「」で戦闘するシーンがあるが、考証が細かいアニメだけに、ほぼ原寸大の大きさだと推測できる。 アメリカの社が開発した米空軍最古の戦略爆撃機である。 それまでのは通常爆弾を投下するだけの爆撃機であったが、B-52には冷戦期に核爆弾をソ連に投下するための戦略爆撃機として開発されたのだ。 しかし、実戦での投入はからだった。 全長約48m、全幅約56m、全高約12mの巨体は「 多種多様な兵器を、大量に搭載し、遠方に投入・投下する」ことを目的とされ、事実ベトナム戦争では第二次世界大戦を上回る数の通常爆弾を絨毯爆撃で投下している。 運用開始は1955年だが、その後に何度も改修が施され、最終的には2045年までの運用を予定している。 現在でも情勢が緊迫した地域においては、相手国への示威行為のために飛行する姿がメディアで取り上げられるほどだ。 まず最初に両翼が持ち上がり、胴体を引っ張り上げるように離陸するのである。 このような巨大爆撃機はもう現われることはないだろう。 ツァーリ・ボンバ 旧ソ連が開発した史上最大の水素爆弾。 ツァーリ・ボンバとは「 爆弾の皇帝」の意味である。 1961年に唯一の大気圏内核実験が行われた。 単一兵器としては史上最大であり、広島型原子爆弾の3,300倍の威力を示した。 しかし、これは本来の性能ではない。 生じたキノコ雲は高さ60km、幅30-40kmもあったという。 この様子はYouTubeにて見ることが出来るが、爆発の衝撃があまりに激しい光景のため興味のある人だけに見ることをすすめる。 爆弾自体も重量27トン、全長8mもあったために当時ソ連でも最大級の爆撃機であったTu-95に半埋め込み式で搭載された。 ボンバは冷戦期の産物であり、現在は製造されていない。 最後に ここで紹介したものは B-52以外はすべて過去の遺物である。 しかし、歴史を知る上で戦争や兵器を知ることが悪いことだとは言い切れない。 兵器を知ることはその時代の技術力、戦略的思考を知ることになるからだ。 そのことだけは読者の方々に伝えたい。 カテゴリー• 122• 368• 363• 1,436• 151• 819• 596• 173• 100• 181• 146• 136• 110• 567•

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水素爆弾 (すいそばくだん)とは【ピクシブ百科事典】

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概要 からにかけてが開発した史上最大の。 核出は換算でと、に落とされたの0倍であり、までに開発されたの中では最も出が大きい。 にヤゼムリャにてを実施。 ツポレフVに搭載され、分に高度10,mで投下、高度4,000m(抜4,200m)で。 火球直径は2. 3km、は直径kmに広がり、高度kmまで達した。 一次による殺傷範囲は半径6. 6km、爆による殺傷範囲は半径km、熱線による殺傷範囲は半径kmに及び、はを3周するという記録を残している。 ちなみにで、爆心地周辺をすると、未だにそのが確認できるのでがある人は 一度する事をお勧めする。 参考までに、上に直撃させたとすると、からまで跡形もなく吹き飛び、爆や熱線は、、、、、まで届き、一回のでを壊滅させられる威を誇る。 しかし、級のともなれば領内の人口密集地へ多量の放射性降下物()が降ってくる事が予想されたため、実際のにあたっては第三段階の8のを抑えるようにタンパーがに変更され、出は約に抑制された。 この結果、する放射性物質の量はその出の割にはかなり小規模なものとなった。 なぜ水爆はこれほどまでに強力なものになったか? この時代、ソ両は盛んにの威を競い合った。 理由のひとつはの誇示。 このツァーリ・ボンバもの日時を党大会直前にあわせ、場所や威をあらかじめ開するという異例の措置をとったことによりの誇示を示したのである。 もうひとつの理由は当時、などが技術が発達していなかったための標となる地点のが曖昧になってしまっていた。 そこで「標のができないなら、強なで周囲のものごと吹き飛ばしてしまえ!」…という乱暴なでソはより強なを作ったのである。 だが、の威の強化にも限度があった。 最大の理由はその。 ツァーリ・ボンバの装重量は27。 当時のにはこれを打ち上げるためのをつくる技術はなかった(開発はしていたようだ。 これは後に重量級打ち上げのになった)。 これがが内容を開した第二の理由。 ツァーリ・ボンバはの誇示以外に使いのない非実用的なだったのである。 やがての発達との命中率の強化により強なを作る必要は薄れ、また標を広範囲に破壊する手段も多弾頭が開発されたことで小の弾頭を多数ばらまく方が効率的だと分かり、ソの威の競争も終りを迎えることとなったのである。 重量 : 27,000 kg• 全長 : 8 m• 最大直径 : 2. 1 m• 核出 : 換算、換算2. 6)の記録である。 関連項目• - - - ()• (『』の収録曲).

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ツァーリ・ボンバ

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広島型原爆の 3300 倍 ツァーリ・ボンバの威力は57メガトンで、いまだに人類史上最大の兵器となっている。 TNT換算で、広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」の3300倍、第二次世界大戦で使われた総爆薬量の10倍に相当する。 核爆発は、1000キロメートル離れた場所でも確認され、衝撃波は地球を3周した。 開発時のコードネームはイワンで、「ツァーリ・ボンバ」の名称は、クレムリンのツァーリ・コロコル(鐘の王様)、ツァーリ・プーシュカ(大砲の王様)にちなんで西側でつけたもの。 火に油を注ぐ ツァーリ・ボンバが炸裂したのは、冷戦が熱い戦争に転化しかねない時期だった。 直前の1961年8月には、ベルリンの壁が建設されはじめ、世界は、翌年1962年10月のキューバ危機に向かって、緊張の度合いを高めていた。 ツァーリ・ボンバは、実戦配備されることはなかったが、ソ連の核兵器製造能力を見せつけ、大きな政治的、軍事的意義をもった。 ソ連最高指導者のニキータ・フルシチョフは、「初めは100メガトンの予定だったが、モスクワのガラスがぜんぶ割れないように、出力を減らした」とジョークを飛ばした。 設計はソ連の秘密都市アルザマス16で、ユーリー・ハリトンを中心に、アンドレイ・サハロフ、ヴィクトル・アダムスキーなどが加わった。 「ソ連水爆の父」と呼ばれたサハロフは、後に核兵器反対を唱え、反体制運動家となる。 致死的な熱線は半径 58 キロ ツァーリ・ボンバは、特別に改造されたTu-95戦略爆撃機によって運搬されたが、巨大すぎて機内に収納できず、半分機外にはみだしていた。 ツァーリ・ボンバは重量27トン、全長8メートル、直径2メートルという大きさだった。 午前11時32分、ツァーリ・ボンバは、ノヴァヤ・ゼムリャ上空の10500メートルの高度から、パラシュートをつけて投下された。 高度4000メートルに達した時点で爆発。 致命的な火傷を負う熱線の範囲は、半径58キロメートルに及んだとみられる。 米国の観測によれば、キノコ雲は64キロメートルの高さに達した。

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